7月22日(日)礼拝メッセージ要旨
「イエス様について行く」 ルカの福音書14章25-35節
この時もイエス様の周りにも大勢の人々が集まり、イエス様について行っていました。そういう大勢の人々のほうに向いて、イエス様はご自分の弟子になるためには、こうでなければならないことについて話してくださいます。本文の中には三つのことが教えられていますが、本日はその中で二つのことについて考えて見たいと思います。
一つ目にイエス様は、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません、と語れます。この時の「憎む」ということばは「より少なく愛する」という意味です。同じことを教えますマタイの福音書10章37節には「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」と書いてあります。即ち「自分の家族を憎まない者」とは「イエス様より家族を愛する者」となります。ここでイエス様は教えてくださることは、家族より、さらには自分の命よりもイエス様を愛する者でなければイエス様の弟子になることはできないということです。ですから、イエス様について行く者は、何よりも、誰よりもイエス様を愛する者でなければならないのです。
二つ目にイエス様は自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、イエス様の弟子になることはできないと仰います。そして自分の十字架を負う、ということはイエス様が苦しみの道を、辱しめの道を歩んで行かれましたように、その人もイエス様について行くゆえに苦しみを受けるということです。イエス様について行くゆえに辱しめを受けるということです。神様に招かれて信仰が与えられ、イエス様が歩んで行かれた道を歩む時、そこには家族から、友人から、周りの人々から反対されることも苦しみを受けることもあると思います。そういう時に、イエス様について行く者は、そのような自分の十字架を負いつつ、イエス様に行かなければなりません。
誰よりもイエス様を第一に愛し、どんな苦しみがあるとしても最後の最後までイエス様について行く者になりたいと思います。