礼拝メッセージ

7月22日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主イエスの覚悟」             ルカの福音書9章28~36節

「イエスの変貌(変容)」と呼ばれるこの箇所は、教会の画家たちが喜んで描いた題材でした。その中でもフラ・アンジェリコの絵は、地上の人としてのイエスのご生涯において、ただ一度だけ栄光の輝きを見せた瞬間を黄色系の一色だけで描きました。今、旧約聖書を代表するモーセとエリヤがイエスと語り合う光景は、映像的には光に満ちた輝く場面であっても、そこで語られている内容は、逆に悲惨な、むごたらしい、主イエスの十字架の死が語られていたのです。その重要な場面にモーセとエリヤが選ばれたのは何故なのでしょうか?エリヤは北イスラエル王国の預言者として、主なる神を捨てて、バアルの神を信仰するアハブ王を非難し、生涯をかけて戦った人でした。彼の使命はイスラエルの民が主なる神を礼拝するよう、純粋な信仰に立ち帰らせることにありました。ゆえに旧約聖書最後のマラキ書には、「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」(マラキ4:5)と記されており、神の審判の前に、人々の悔い改めと主なる神へ立ち帰らせる働きをする、エリヤのような預言者が遣わされるのです。同じようなことは、モーセについても言えます。モーセもまた神から「解放者」としての召命を与えられ、エジプト脱出後、荒野の40年の旅を通して、イスラエルの民から絶えず裏切られ、最後にイスラエルの民全体の罪を負うて、神から約束の地に入ることを禁じられ、その生涯を終えた人でした。主イエスもまた、人々からののしられ、はずかしめられ、裏切られて十字架で殺されるのです。つまりここで起こっているのは、人間的に見ればまさしく悲劇の主人公の三人の対話であったのです。そして最も悲劇的な出来事「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期についていっしょに話していた。」のです。(ルカ9:31) ルカはこの「ご最期」という言葉に「彼のエクソドス」という原語を用いました。「旅立ち、出発」を意味する言語です。特に、エジプトから脱出(出エジプト)やこの世からの「旅立ち」すなわち「死」をあらわす言葉です。ルカがあえてこの原語を用いたのは、イエスの死が人類救出のための「第二の出エジプト」であることを強調したかったのです。私どもにとって最も厳しい闇は「死」であります。その死について主イエスは語られたのです。それはまた主イエスが死んでくださらなければどうしようもなかった、私ども人間の罪からの救いを語り続けておられたということでしょう。モーセとエリヤは共に、神の救いのご計画を神の御子イエスと語ることができた貴重な時間だったのです。

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