7月2日(日) 礼拝メッセージ要旨
「罪を悟らせる」 創世記42章1-17節
ヨセフの生涯を簡単に言いますと、夢を通して啓示を受け、その夢によって苦難に出会います。しかしその苦難の中でも神様の不思議な働きと導きによって、その夢はヨセフの人生の中で成就されることを見ることが出来ます。このようなヨセフの夢を理解するのに大切なことは、それは決してヨセフの成功を教えてくれるものではないということです。神様がその夢を成し遂げてくださり、その目的はヨセフを通して彼の家族を救おうとされたことです。ですからヨセフの夢というのは、そういう神様のご計画を見せてくださったことでした。ヨセフが歩んで来た人生を考えて見ますと、クリスチャンである私たちの人生の中でどんな苦しみがあるとしても、私たちに対する神様のご計画は止まることなく神様の導きの中で成し遂げられるということが分かります。
そのようなヨセフの生涯の中で、本日の本文は長い年月がたってからヨセフと兄たちが再び出会う場面です。その時、ヨセフは兄たちを見てすぐ分かりましたが、知らないふりをします。そして全くそうではないのに、兄たちに間者だと濡れ衣を着せます。そのようなヨセフに対して、自分たちは決して間者ではないと切実に説明しました。しかしヨセフは兄たちの話しは聞かないで、兄たちを監禁してしまったのです。ところが、この出来事を通して兄たちは、昔自分たちが犯してしまった罪を思い出し、それが罪だということを悟るようになります。そして似た出来事が繰り返される中で自分たちが犯してしまった罪を認め、告白するようになるのです。
こういう兄たちの姿とは、イエス・キリストの御前で、自分の罪と魂の貧しさを悟らせる頂いた私たちと似ています。自分の罪を悟り、その深さを知る時、そこから私たちに与えられた恵みがどれほど大きなものであるのかが分かります。主の恵みの前で、私たちの罪を悟り、そのすべての罪を赦してくだった驚くばかりの恵みを感謝したいと思います。