7月12日(日) 礼拝メッセージ要旨
「キリストの奥義」 エペソ人への手紙3章2~6節
本日の本文で、パウロは自分の働きについて「神の恵みによる務め」と説明します。使徒としての働きは、決して自分から選んだものではない。また、神様から特別な賜物を頂いたからということもでもない。そうではなくて、ただ「神の恵み」によって全く資格のない自分にこの務めが与えられたということです。福音とは、罪人がただ神様の恵みよって救われるということです。先ず、私たちは自分自身の事を振り替えてみて、自分が罪人であって、その罪が一方的な神様からの恵みによって赦されたという確信を持たなければなりません。
そして次に、異邦人の救いが神様のご計画であり、神様の永遠の計画の中にあったという説明が続きます。5節に「この奥義は、今と同じようには人々に知られていませんでした。」とあります。この「奥義」とは、2章の後半から説明して来た、異邦人の救いとその異邦人ユダヤ人が一つになる事です。それは新約聖書の時代になってから、神様が急に思い出した事ではありません。それこそ、1章4節に書かれているように神様は「世界の基が置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のないものとしようと」されたのです。そして、今は、即ち新約聖書の時代には、聖霊によってキリストの聖なる使徒たちと予言者たちに異邦人の救いが明確に、そして確実に 啓示されたのです。そして最後に「奥義」について6節で説明しています。この6節は、2章11~22節をまとめたものでもあります。特に「共に」という言葉を中心にしてまとめたものです。
私たちの過去がどういうものであったとしても、それは今の私たちの神様の民として生き方に何の問題にもなりません。そして、今、私たちが置かれている状況がどうであるとしても、同じです。神様の恵みによって、今は神様の子どもとされ、神様の家族となったのです。そして、キリストの奥義が私たちに知らされ、それを証しする人生へと呼ばれているのです。この恵みに感謝し、その証し人として生きて行きたいと思います。