6月9日(日) 礼拝メッセージ要旨
「主よ 日ごとの糧を」 ルカの福音書11章1~3節
「主の祈り」は、主イエスが私たちが生きるために必要な霊的なことと、体のこととのすべてを祈りの中にまとめて、私たちに教えて下さったものです。その私たちの体に必要なものすべてについて、私たちが最初に祈る祈りは、「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。」です。今日、日本社会は、貧困と隣りあわせで生きている人々が増え、生活保護の受給者が増加しております。「貧困問題」は格差社会の中で、社会問題、政治課題となっております。ですから、「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。」というこの祈りは、人類全ての共通の祈りでもあるのです。それは「いのち」にかかわる事だからです。「いかに生きるか。」という、人間の生存権の問題でもあるからです。ですから主イエスは、この祈りを第一にあげられたのです。ルターはこの祈りの「日ごとの糧」について「それは肉体の栄養や、生活になくてはならないすべてのものを含んでおります。例えば食物と飲み物、着物と履物、家と屋敷、畑と家畜、金と財産、信仰深い夫婦、信仰深い子供、よい政治、よい気候、平和、健康、教育、名誉またよい友達、信頼できる隣人等であります。」と小教理問答書で解説しております。しかしこの祈りは、直接弟子たち(キリスト者)に向けられたものです。従って、私たちはキリスト者として、この祈りをどのように理解すべきかがとても大切なことです。何よりもこの祈りは、私たちが全面的に神に依存している存在なのだと教えております。私たちの人生、健康、生命が神の御手の中にあることを想い起こさなければなりません。さらに、あの天地を造り、すべてを支配し、やがて終りの時に、私たちを神の御国へと導き入れて下さる神が、私たちの小さな必要、日ごとの食物といった、小さなことまでも考えて下さるお方であるということは驚きです。小さな存在にしかすぎない私たちのこの小さな生涯の最も小さい部分に至るまで、永遠なる神の前に知られているのです。私たちはエジプト脱出後のイスラエルの民のように、この世という荒野を旅する者です。荒野では、神の御手に信頼し、必要なものを、神にのみ期待しました。神はイスラエルの民を飢えから救いました。同様に、今日の私たちも、その日の生活に必要なものを、唯一の避け所である神に祈り求め続けましょう。 「すべての目は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。」 (詩編145篇15~16節)