6月5日(日) 礼拝メッセージ要旨
「荒野に立ち続けるキリスト」 ルカの福音書4章1~13節
イエス・キリストは、私たちの「信仰の完成者である」(ヘブル人への手紙12章2節)と呼ばれております。その出発点がこの荒野での悪魔の試みであります。「御霊に導かれて荒野におり」(ルカ4:1)とありますように、この試みは神が人としてのイエスを荒野に追いやられ、救い主イエス・キリストへと完成させるための試練でありました。「試み」という言葉はまず、「何かを実現させようと試みる」という意味です。悪魔が主イエスを「試みる」のは、主イエスを神の領域から引き離し、自分の支配下に置いて救い主としての立場を失格させるという、悪意のもとに行われたものでした。従って悪魔の試みは巧妙を極めており、第一の試みに「パンのこと」つまり「食べること」を持ち出したことに見ることができます。40日間何も食べず空腹の限界にある主イエスにとって、今は何よりも食べること、空腹を満たすことが切実でありました。この事態を生き延びるためにもパンの問題は、切迫した課題でした。そこを悪魔は、まず激しく誘惑したのです。さらに悪魔の巧妙さは、これら三つの試みが「神のことば」を根拠にしてなされている点に見ることができます。「神のことば」を根拠にして人々のためになるという装いをもっている、極めて巧妙な試みなのです。第一の試みは、石をパンに変えるということから、どれほどの人が飢餓や貧困から救われるかしれないという魅力があり、第二の試みは、いっさいの権力と栄光を持ち、世界を自由に支配し、世界の人々の救いのために働くことができる。そのために、私を拝みなさいと悪魔は迫ります。第三の試みは「神の力をみんなにわかる形で表してみよ」というものです。主イエスが神の業を奇跡という仕方で成功させることによって、救い主として全ての人々の支持を受けることになるという悪魔の問いかけであります。主イエスは「神のことば」を根拠とする悪魔の試みに対して、ご自身も「神のことば」によって立ち向かいました。私たちの人生を支え導くものは、神の命令であるみことばにあること。(申命記8章2~3節)神から与えられた使命、目的を達成する唯一の道は、生ける真の唯一の神に期待すること。(申命記6章13~14節)神とそのみことばは試みるべきものではなく、信ずべきことであること。(申命記6章16~17節)こうして主イエスは、「神のことば」をもって悪魔の試みを一切拒否されました。このように主イエスは、ご生涯を貫いて「神のことば」を盾として試みの嵐を克服されました。「主ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになる」(ヘブル人への手紙2章18節)救い主として成長し、完成者となられたのですから、主イエスがどんなに同情心に富んだ救い主であるかを覚えましょう。そして私たちはが試みに会う時、助けを求めて主イエスのもとに逃れましょう。また、私たちが悪魔に立ち向かうための大切な武具は「神のことば」であることを覚えましょう。御霊の与える剣である(エペソ6:17)「神のことば」を取って悪魔に立ち向かうことなくしては決して戦い抜くことはできないのです。どうかこのあわれみ深い救い主を自らの経験によって知ることができますように。主イエスは昨日も今日も変わりなく、私たちのこの世の荒野に、共にいます主として立ち続けて下さっているのです。