6月4日(日) 礼拝メッセージ要旨
「夢を見る者」 創世記37章5-11節
聖書の中に夢に関する話しが色々とありますが、その中で私たちが良く知っているのはヨセフの夢であると思います。特に、創世記37章以降、ヨセフの話しが始まりますがヨセフの生涯において夢ということは非常に重要なポイントであって特別に用いられました。その最初に出て来るのが、本文の「ヨセフの夢」です。本文でヨセフは二つの夢を家族に話すことによって、ヨセフは兄たちにますます憎まれるようになり、兄たちは創世記37章19節では「あの夢見る者がやって来る」と言い、その後、商人に売ってしまいます。そして展開されるヨセフの人生は、その夢とは離れた方向に進んで行くように見ます。
そこで、この本文を読む時、聖書での夢をどのように理解すべきかを考えて見る必要があります。本文の二つの夢の内容を、13年も経ってからヨセフがエジプトのパロ王の次の地位になったことにすぐもって行こうとするところがあります。その間、大変な出来事があったにもかかわらずです。しかし聖書を良く読んで見ますと、ヨセフはこの時の夢を一瞬も忘れず、神様がその夢を成し遂げてくださることだけを思い、その確信に満ち溢れて生きて行ったとは言い切れないと思います。
それでは、ヨセフの夢は何だったでしょうか。それは神様からの啓示です。神様は聖書が書かれる前の時代には、御声をもって語って下さり、御使いを遣わして御旨を教えて下さり、夢や幻を通してご計画を教えて下さいました。そして、その啓示の目的は神様がご自身を現わす事です。ですからヨセフの夢を通して、神様はご自身がどんなお方であり、ご自分のご計画をどのように成し遂げてくださるのかを教えてくださったのです。そしてそれはヨセフの人生にどんなことがあっても必ず成し遂げられたのです。時には、信仰者である私たちの人生の道が大変であると思われることもあります。しかし、神様は同じく、どんなことがあっても私たちの人生をもご自分のご計画通りに導いてくださるお方なのだ、ということを覚えて歩んで行きたいと思います。