礼拝メッセージ

6月29日(中部中会設立記念礼拝日) メッセージ要旨

 

「主イエスの弟子であること」        ルカの福音書14章25~35節

「いのちが、一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより、大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」星野富弘さんの言葉です。人間が「生きている」ということと、「生きていく」ということとは、ただ一字違うだけですが、実は大きく違うのだということを、私たちは知っております。星野富弘さんも、ただ生きているだけの自分でなく、生きていくことができる自分に気付いた時、そこに大きな喜びが与えられ、その喜びを詩に表現されたのです。その「生きていく力」は、命より大切なものがあると知った時に与えられたのです。そのように、主イエスの弟子になるということは、「生きている」ことから、実は「生きていく」ことに変えられるということなのです。その主イエスの弟子になると決めたなら、最後まで主イエスに従うという見通しをはっきり持つことが大切であることを、二つのたとえで主イエスは話されました。その事は、二つのたとえに共通の言葉として使われております、「まずすわって」(ルカ14;28、31)という言葉に表されております。これから自分が歩もうとする道について、十分考え、知り、決意して従うために「まずすわって」であります。そして、主に従う弟子としての歩みは、よく考えて、永続的に生涯かけて従うことが求められておりますから「まずすわって」であります。その上で「自分の十字架を負って、わたしに従え」(ルカ14:27)という命令になります。しかし無理矢理に、こうすべきであると、引き込まれるものではなく、私たち一人一人が、それぞれ自由に選びとることが許されており、その自由の中で、主イエスに従うことがあなたの願いであり、祈りであり、信仰であるならば、自分を捨て、自分の十字架を負って従って来なさいと勧められているのです。

礼拝メッセージ要旨一覧はこちら