礼拝メッセージ

6月24日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「恐れないで、ただ信じなさい」      ルカの福音書8章49~56節

「あなたのお嬢さんはなくなりました。」という知らせは、ヤイロに「間に合わなかったか!」という無念さと、死で全てが終わりであるという絶望が、彼を深く悲しませたのです。ここまで精一杯やった。しかし力尽きた。イエスは自分の望む方向に事態を好転させて下さらなかった。ポッカリ穴のあいたヤイロの心に、イエスの言葉が投げこまれます。「恐れないで、ただ信じなさい。」そのイエスの言葉だけが、彼の胸中にひびくのです。イエスは「死」が終点ではなくて、「途中」でもあるかのように前へ進んで行こうとされます。だれであっても「死」の前では引き下がらなければならないというのに、イエスはそれを踏みつけて前へ進もうとされるのです。ヤイロが恐れと絶望へと引きずり込まれようとしているその時に、待ったをかけるかのように「恐れないで、ただ信じなさい。」というイエスの声が彼に届くのです。少女の死を前にして人々は泣き叫び、騒ぎ立てているところにヤイロはイエスと共に戻ります。イエスは嘆き悲しむ人々に向かって「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」と言われます。しかし人々は「あざ笑った」のです。力尽きて絶望した人にはイエスの言葉は届かないのです。イエスは私どもの死を神の視点から見ていて下さる。ヤイロの娘は主イエスの神によって起こされたのです。「子どもよ。起きなさい。」それはやがてイエスを死から甦らせた神のあの復活を予告させる出来事でありました。少女はすぐに起き上がり、少女に食物が与えられます。これは復活後ガリラヤ湖畔で共に魚を焼くイエスとペテロたちの光景の予告編でもありました。やがて私どもも死の床につく時、復活の主イエス・キリストが「さあ起きなさい」と声をかけて下さる。私どものいのちは再び立ち上がる。そしてキリストの復活のいのちにあずかるのです。今ヤイロはこの事実を自分の目で見、触れることによってその信仰はより確かなものにされていったのです。

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