6月23日(日)礼拝メッセージ要旨
「子どものように」 ルカの福音書18章15〜17節
ルカの福音書18章には色々はたとえ話とイエス様の教えが出てきます。1〜8節には不正な裁判官とやもめのたとえ話」、9〜14節には「パリサイ人と取税人のたとえ話」がありまして、本日の本文では神の国を受け入れる者についての教えが出てきます。そして本文以降ではある役人との会話とイエス様の3回目の受難予告が出てきます。非常に多様な内容と教えが与えられていますが、一つの共通点がありましたら、それは何でしょうか。それは当時のユダヤ人たちが持っていた常識をひっくり返すような教えであるということです。たとえ話や教えの結論は、その時、話しを聞いていた人々や弟子たちの考え方をひっくり反すものでありました。それから、神様との関係は当時のユダヤ人たちは弟子たちが持っていた考え方や基準とは違うということがわかります。
やもめの弱さや貧しさが、そして取税人の罪深さが神様との関係に悪い景況を与えることではありませんでした。かえって、私たちの目には道徳的に非常に正しく神様の律法を徹底的に守っていたパリサイ人の姿が神様との関係には全く役に立たないものでありました。それは本文においても同じことが言えるところです。人々は、イエスにさわっていただこうとして幼子たちをみもとに連れて来ました。その姿を見た弟子たちは「それをしかった。」と書いてあります。弟子たちが、何故しかったのかは書いてないもので正確にはわかりませんが、おそらく弟子たちはそれが相応しくないと思ったと思います。しかし、イエス様は弟子たちに「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」と、そして「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」と語られました。この「子どものように」ということは、自分の弱さを覚えて神様に憐れみを求め、神様に頼り、神様を信頼することです。私たちも子どものように神様に信頼し、神様の教えに従って歩むものになりたいと思います。