礼拝メッセージ

6月23日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「許しがたきを許す」              ルカの福音書11章4節

「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。」宗教改革者ルターはこの祈りについて「これは私たちの哀れなみじめな生活に関する祈りである。」と語りました。私たちは神のみことばを信じ、受け入れ、神のみこころを行い、神の賜物と祝福とによって生きております。それでもなお私たちの生活は、罪を離れきるというわけにはいかないのです。罪とは、どんなに小さくても神への裏切りです。神の愛を裏切るということなのです。また罪とは相手があるのであって、その相手を傷つけ、損害を負わせることでもあります。そしてこの負債は誰よりも、神に対しての負債であります。その罪のきびしさ、その深刻さをこの祈りによってもう一度、私たちは教えられるのです。ですからこの祈りは、だれかの特定の罪を赦したという、そのことに免じて、自分の罪の赦しをお願いするのではなくて、私たちは自分の身に起こった神の赦しの事実、神の恵みを自分のうちに見出して、その恵みに応えて「私たちに負い目のある者をみな赦す者となりますように。」という祈りなのです。自分の罪の赦しを率直に、素朴に、かつ勇敢に信じ、祈り求める者は、他人の罪をも、心から許すことができるのです。それが出来る時、私たちは神の恵みというものが、ほんとうに確かに、自分のものとなることを悟るのです。この神の赦しと人への許しが密接に関わっているこの祈りは、「アバ父よ。」と呼ぶことが出来る身分にされた私たちは、返してもらうことを当てにしないで貸す、つまり「赦す」というそういう生活が出来るはずだと主イエスは言われるのです。                                                                                                  「許しうるものを許す。それだけなら、どこに神の力が要るか。人間に許しがたきを許す。そこから先は、神のためだと知らぬか。」(八木重吉)

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