6月16日(日) 礼拝メッセージ要旨
「赦しの中に立ちて」 ルカの福音書11章1~4節
「主よ、私どもにどうしても、なくてはならないものが二つあります。それをあなたのあわれみによって与えてください。日毎の糧と罪の赦しを。アーメン。」 この祈りは、ドイツ人の家庭での食前に祈られる言葉です。日毎の糧がないと、私たちの人生が成り立たなくなります。それと同じように、今ここで罪を赦してくださることがないと、私たちの人生は成り立たないのです。この食前の祈りは、そう祈っているのです。私たちが生きていくのに最低限必要なもの、どうしてもそれがないと「今日」という日の生活が成り立たないものが二つあります。それを与えてください。という祈りです。信仰の有無を問わず、日毎の糧を得たいとの願いは切実です。今世界の人口は70億人と言われています。そのうちの飢餓人口は約10億人と言われ、約7人に1人が生きるために必要な基本的な食糧を得ることが出来ず、それが原因で1分間に17人もの人々が命を落としているのです。私たちが、日毎の糧のために祈らざるを得ない現実があります。しかしその祈りと重なりあうように、自分が日毎罪を犯しており、この罪の赦されることが今起こらないと、やはり人間として生きていくことが出来ないと祈っているのです。ですから主イエスはここで、日毎の糧を求める祈りと深い結びつきの中で、すぐ続いて罪の赦しを求める祈りをするように教えられたのでした。そして主イエスはその赦しについて、あなたが赦されていることの証拠は、私たちが他人を赦すようになることにあると言われました。その赦しは主が私にしてくださったことだと悟るとき、私たちは誰にでも、何事でも喜んで赦すことができるのです。それがここで主が教えておられることなのです。このように主の祈りは贖罪、十字架の上で罪の赦しを成し遂げてくださった贖いと神の恵みに満ちているのです。 「ゆるされ難い私がゆるされている。私はだれをも無条件でゆるさねばならぬ。」 (八木重吉)