6月15日(日) 礼拝メッセージ要旨
「神の国の食卓」 ルカの福音書14章15~24節
「盛大な宴会」のたとえ話は「さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから。」という招きの言葉から始まります。その宴会は神によって準備されております。主催者が十分用意を整え、招待する。そこから始まるのです。普通の食事は、私たちが用意をします。しかし、神の国にたとえられるこの宴会は、主催者である神が用意されるのです。ですから私たちは何もする必要はなく、ただ来て食事をいただくだけでいいのです。主イエスはそれを「盛大な宴会」と呼ばれました。なぜなら、大きな愛によって計画され、準備され、実施されたからです。それには、大きな必要を満たし、高価な代価が支払われたのです。ルカ14:17節では、二つの短い言葉、「もう」と「すっかり」が目につきます。神は失われた罪人を救うために、なすべきことをすべてなさいました。主イエス・キリストは十字架の上で贖いの業を完了されたのです。食卓には、私たちに必要なものすべてが並べられています。すなわち「赦し、平安、喜び、平和、永遠の命」そしてもっと多くのものです。それらがすべて用意されているのです。信仰はあなたが用意するのではありません。信仰の始まりは、神が人となり、十字架を負い、すべての者のために尊い血の価を払われた事実からから始まるのです。私たちの信仰は、すでに神が備えておられるのです。これは常に私たちが覚えておくべき、信仰の基本姿勢なのです。そこには、人間の行為に優先する神の恩寵の行為があるのです。信仰は私たちが神を求めるところから始まるように見えます。しかし実は、神があなたを求めておられる。そのことに気付き、その求めに答えるところから、本当の信仰が始まるのです。「もうすっかり」「用意ができました。」ここから全てが始まるのです。