6月10日(日)礼拝メッセージ要旨
「抱いてくださるイエス様」 ルカの福音書14章1-6節
福音書の中にはイエス様が安息日に病院を癒してくださった内容が何回も出て来ます。右手のなえた人も、ベテスダの池で38年間も病気にかかっていた人も、またシロアムの池での目の見えない人も、安息日にイエス様に癒された人々でした。その度にそこにいたパリサイ人や律法学者たちは、自分たちが守っていた安息日の規則をもってイエス様を非難しようとしましたが、しかしイエス様はそのような彼らに安息日の本当の意味を教えてくださいました。本日の本文も「ある安息日」にイエス様がパリサイ派の指導者の家で水種を患っている人を癒してくださいました。
当時、安息日に神様を礼拝し、食事会をすることは普通の光景でした。その町の指導者や偉い人は、みことばを話してくださった先生を自分の家に招いて共に食事をしながら教えを頂くということでした。本日の本文の家もそのような光景であったと思われます。1節に出て来るパリサイ派の指導者の家に、イエス様が招かれたことなのか、イエス様がその家に行かれたことなのかは分かりません。しかし、その家の中にいた人々はイエス様をじっと見つめていて、これからイエス様は何をどうするのかと言う事を非常に注意深く見ていました。何故なら、その家の中には一人の水種を患っている人がいまして、その人を見たイエス様が安息日に彼を癒してくださるだろうか、ということを見るためでした。それは、律法の専門家やパリサイ人たちが安息日の規則をもってイエス様を罠にかけようとしたことだと考えられます。
ところが、イエス様は見つめていた人々に「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と質問されます。その質問に対して何も答えることが出来ず黙っている間、イエス様はその病人を抱いてくださり、彼の病気を癒してくださって帰らせました。イエス様は何よりもその病人のことを大切にしてくださったのです。そういうイエス様の愛を思えて、そのイエス様に抱かれて神様のみこころに従って歩む者となりたいと思います。