礼拝メッセージ

6月10日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「あなたの名前は何というのか」        ルカの福音書8章26~39節

「夜と霧」の作者としてその名を知られているオーストリアの精神医学者ビクトール・フランクルの「各時代には、それぞれの心の病がある。」という言葉があります。いつの時代でも人間は心の病、精神的な病に苦しめられてきました。聖書ではこの病を「悪霊につかれた」と表現しています。その病気の姿をきわめて具体的に、一人の男を通してルカは描いております。この男は主イエスに会うまでは、墓場に住み荒野に追いやられ、孤独な人として不安と恐れの中に生きていました。彼は「二つの自分」をもっています。悪霊に支配されている自分、つまり自分ではない自分と本来の自分です。主イエスはこの二つの自分を分離して、「真の自分」を取り戻させてあげました。主イエスはその根本原因である悪霊を取り除くことによって、彼の人間性を回復させたのです。彼がこのように回復できたのは、主イエスに「何という名か」と問われたことにありました。主イエスは「あなたは今どこにいるのか。」「本当のあなたは誰なのか。」と問われたのです。名前はその人の全存在を表し、名前が尋ねられるということは、自分自身が明らかにされることです。主イエスは悪霊によって混乱状態にある彼を本来の自分に戻されました。そして自主性と秩序を回復させ、健全な社会生活ができるようにして家に帰らせたのです。この出来事は主イエスが圧倒的な神の力を秘めた、真の救い主であることを証明しました。その力にゲラサ地方の人々は「恐れ」、イエスに退去を願います。自分たちの破滅を予感して「恐れ」たのです。こうして主イエスはゲラサ地方では、たった一人の信仰者を得たのみでした。しかしここでの伝道は決して失敗ではありませんでした。たった一人ではありますが、彼は自分が「救われた次第をその人々に知らせ」(ルカ8:36)「神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを」(ルカ8:39)語り始めたのです。異邦人社会の中で、唯一キリストの証人として語り続けたのです。福音はこうして一人の人によってでも語り継がれていくのです。それは地の果てまでも福音を叫んでまわる、壮大な任務ではありません。ささやかな務めです。ここに私たちのキリストの証人としてのあるべき姿を見ます。「彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中で言い広めた。」(ルカ8:39)

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