6月1日(日) 礼拝メッセージ要旨
「ノアの箱舟―命と死を分かつもの」 創世記7章6~24節
「大洪水が起こり」という書き出しで始まる、7章6節以下の洪水物語は、あの2011年3月11日の東日本大震災の惨事と重なって、私どもの胸に迫ってきます。ノアが箱舟の窓から見た洪水の光景が、時空を越えて今を生きる私どもの眼前に展開されているのです。7章6節から16節には、「箱舟にはいった。」という言葉が、繰り返し出てきます。それはノアとその家族、動物たちを残すことを通して、天地を再創造しようとする、神様の意思が明確に示されていることを表した言葉です。洪水による神の裁きと、一方ではノアとその家族の救済。聖書を貫く中心の主題「裁きと救済」が、ここにすでに、はっきりと示されております。そして「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」(創世記7:16)という言葉によって、洪水という出来事は、命と死の問題であり、箱舟の内と外における立場の違いによって、生と死を分かつ厳粛な事実を私どもに示しているのです。17節から20節には、水が「増し」「増し加わり」「みなぎり」という言葉が、くどいほどに出てきます。その結果、何が起こったのでしょうか。21節以下にやはり同じ言葉が繰り返されます。「すべてのものも、またすべての人も死に絶えた。」(創世記7:21)「みな死んだ。」(創世記7:22)「消し去った。」(創世記7:23)「地から消し去られた。」(創世記7:23)すべての人間と動物が、神さまの怒りの裁きによって、この地から消し去られたのです。そして「ただノアと彼といっしょに箱舟にはいったものたちだけが残った。」(創世記7:23)のです。「ノアだけが残った」という意味は、神を礼拝する人が一人地上に残されたということです。ノアは神さまに罪の赦しを願い求める礼拝を捧げるために、ただ一人残されたのです。私どもも、ノアのように箱舟という神殿、教会に招き入れられ、それぞれが「ただ一人残された」ノアのように、神を礼拝し、神の栄光を讃美するように今、生かされているのだということを覚えたいのです。