礼拝メッセージ

5月29日(日) 礼拝メッセージ要旨 石川和男牧師

 

「神の約束を信じて生きる」            創世記37章1~11節

神の約束の成就の視点から、ヨセフがエジプトへ身売りされる事件を読むならば、これは家族間の対立の結果、生じた出来事ではなく、神のヤコブへの約束の成就のための出来事と理解できる。 ヨセフは兄たちの告げ口をするという癖があった。そして父ヤコブはヨセフを偏愛した。さらにヨセフは二度も自分の見た夢を兄たちに告げた。それで兄たちの憎しみを買い、兄たちに策を練られ、エジプトへ奴隷として売られてしまう。けれども、ヨセフの夢はヤコブに対する約束(創世記35:11-12)の成就の一貫として示されたものであった。つまり、神はこの時、夢を通じてヤコブの家族にご自身の約束を示されたのである。 そして、神はご自身の約束を成就するためにすべてを用いられた。ヨセフの告げ口をする癖も、夢の内容を遠慮なく話すことも、ヤコブのヨセフへの偏愛も、それで兄たちがヨセフを憎んだことも、すべてが約束の成就のために用いられていく。実にこの世で起きる様々な出来事の多くがこの家庭にもあった。しかし、そのすべてが約束の成就のために必要であった。すなわち、約束の成就とは人間の思いとは異なる方法で成就されていくのである。 また、だからこそ、神の民の価値を簡単に私たちは決めることはできない。ヤコブはヨセフから夢の話を聞いた時、ヨセフをいさめたが、最後はその話を批判せず心に留めておいた。ヨセフの話の背後に神の約束を感じたからである。そしてヤコブの態度はその後の結果から判断すると、全く正しかったのである。 私たちも同じである。すなわち、ある人がキリスト者であるにもかかわらず自分たちと異質な場合であっても、その人が約束の民であり、私たちも約束の民であるならば、その人を通じて私たちへの神の約束が成就されていくのである。それ故に、簡単にその人の価値を決めつけることなく、そこに神の御心を見るべきなのである。 かくして、私たち約束の民は、神は必ず約束を成就されることを信じ、その信仰に立って、すべての出来事や人物を理解する必要がある。受け入れ難い出来事が起こり、不可解な人物がいるかもしれない。だが、私たちは信仰の目を開き、その出来事・人物の背後に働かれている神とその約束を見つめることが大切である。そして、理解できないことも信仰をもって心に留め、やがてそのことが解き明かされる時を待つことで神の祝福を受けるのである。


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