5月22日(日) 礼拝メッセージ要旨
「愛と敬い」 エペソ人への手紙5章31-33節
今まで夫と婦の関係を説明して来たパウロですが、そこにはいつもキリストと教会の関係がともに出て来ました。それはこの二つの関係が非常に密接であるからです。そのことについて今度は創世記2:24のみことばを引用して、この二つの関係の深さについて説明して行きます。そしてその夫婦の関係について「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」と語っています。即ち、創世記2:24の神様のみことばは、夫婦関係についてのみことばでありますが、それにはより大きな奥義が隠されているということです。そして、その奥義とは、男と女が出会って結婚する夫婦関係が、キリストと教会との関係と同じであるということです。そしてそれは究極的にはキリストと教会との関係をあらかじめ表して下さったみことばであるという事です。
とすれば、創世記でのアダムの喜びの告白は、キリストの喜びを表わすこととして理解する事ができて、イエス・キリストが教会に対して「私の骨からの骨、私の肉からの肉」と話して下さる事として理解することが出来ます。キリストは、このような喜びをもって聖徒たちを愛して下さり、教会を養い育てて下さるのです。
このようなキリストと教会との関係を通して、私たちの夫婦関係を振りかえて見ることが出来ます。そして夫が妻を思う時、妻が夫を思う時、その愛の基準と従順の基準は何かというところで、パウロはそのすべての基準をキリストと教会の関係に置いて説明しています。愛するということは、キリストが教会のためにご自分のすべてをささげて下さったのと同じように、そして敬うということも教会がキリストを恐れ尊んで従うようにということです。私たちは、良く、相手が変わると私も代わり、より良い夫婦関係になれると思います。しかし、考えて見ると、相手もそのように思っていて、そのような夫婦関係は変わりにくいと思います。いつも、愛と従順のことを覚えて、自分自身にみことばを適用して、愛し、尊敬する者になるようにと願います。