5月15日(日) 礼拝メッセージ要旨
「迫害されている者」 マタイの福音書5章10-12節
本日は、10節を中心として考えて見たちと思いますが、八つの祝福の最後の八つ目です。特に、この八つ目の祝福の約束は一つ目の「心の貧しい者」に約束されている祝福と同じです。このように八つの祝福は、天の御国から始まって天の御国で終わりますが、それはイエス様が八つの祝福を通して教えてくださることは、天の御国の民として生き方であるという事であるからです。
先ず、本文の内容に入る前に確認すべき事がありますが、それはクリスチャンにおいて迫害という事は不可欠な部分であるという事です。それは旧新約聖書の中でも非常に重要な教えであって、実際に信者の迫害、苦しみに関する内容も多いです。そして福音書に記されているイエス様の生涯、そのものも迫害でありました。そして新約聖書の多くの手紙も迫害の中にあるクリスチャンに送られたものです。ですから迫害ということについて、神様の教えに従って生きて行こうとする者であれば、あって当然であるという認識を持つべきだと思います。
それでは「義のために迫害されている者」とは、どういう者でしょうか。ここでイエス様は迫害の理由を「義のために」と明確に教えて下さいます。それは神様の義であって、この世の正しさや道徳や倫理という事ではありません。また、信者そのものから出て来る姿や行ないという事でもありません。ただ、キリストの故に受ける迫害であり、キリストに似た生き方をしていることの故に受ける迫害です。ですから、私たちは、私たちが本当に義のために迫害を受ける程に、クリスチャンとしての生き方をしっかり生きているかどうか、良く考えて見なければなりません。何故なら、義のために迫害を受けることは、何よりもその人が神様の教えに従って生きているものであり、天の御国の民であることの証しになるからです。今日も信仰の弱い私たちに、義のために迫害されている者は幸いですと仰って下さるイエス様の教えを心に覚えて、天の御国の民に相応しく生きて行きたいと思います。