5月14日(日)礼拝メッセージ要旨
「良い地に蒔かれた種」 マタイの福音書13章1〜23節
今日からマタイの福音書13章に入りますが、このマタイの福音書13章には御国についてのたとえばなしが7つ書いてあります。その中で今日は一番最初の「種蒔きのたとえ」です。
先ずはたとえばなしについてですが、イエス様はたとえばなしで御国について説明する理由を教えてくださいます。イエス様は11節で「あなたがたには 天の御国の奥義を知ることが 許されていますが、あの人たちには 許されていません。」と語られます。ここでイエス様は天の御国の奥義を知ることが許されている人と、許されていない人と二つのグループに分かれていることをはっきりと語られます。即ち、イエス様のお話しを聞いて理解する人とそうでない人、悟る人とそうでない人がいる、ということです。そしてその違いは、神様が天の御国の奥義を知ることを許されたのか、そうでないかということです。ところが考えて見れば、本来人間は誰一人、自らの力で神様を知ることは出来ません。ですからいくら私たちに御国の奥義について教えてくださっても知ることはできません。しかし神様はある人々には「天の御国の奥義を知ること」と許して下さったのです。本来は全く分からないことですが、神様が知ることを許してくださったため、知ることが出来る。ということは、これは神様の恵みであるということができるのです。私たちがこのように教会に集まっていること、このように神様を知り、神様を信じていることも全て神様からの恵みであるのです。
そこでたとえばなしの内容です、種蒔く人はイエス様を、蒔かれる種は福音を、そして種が蒔かれるそれぞれの土は福音を聞く人々の心のことです。最初の道端というのは頑なな心を表します。蒔かれた種は硬い土のゆえに根を下ろすことが出来ない。それと同じように頑なな心によって福音を聞いても受け入れない人のことです。二つ目の岩地は福音を聞いて喜んで受け入れますが、土が薄いため根を張ることができない人のことです。三つ目の茨の中は、成長することを茨が防ぐことによって実を結ぶことが出来ない。そのようにこの世のものに心を奪われてしまい、信仰の実を結ぶことが出来ない人のことです。最後の四つ目は良い地ですが、この人はみことばを聞いて悟り、百倍、六十倍、三十倍の実を結びます。
私たちの本来の心は道端であり、岩地であり、茨の中のようなものでした。福音を聞いても受け入れない、成長出来ない、実を結ぶことが出来ないものだったのです。しかしそのような私たちに神様の恵みが与えられ、頑なな心が良い地に変えられ、福音を受け入れ信じるようになったのです。このように私たちは神様の恵みを頂いた者であることを覚えまして、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶことが出来るように、祈り求めて歩んで行きたいと思います。