5月13日(日) 礼拝メッセージ要旨
「嵐の中の信仰」 ルカの福音書8章22~25節
畑村洋太郎の著書に「失敗学のすすめ」という作品があります。異色の本として注目を集め、今も売れ続けている本です。「失敗を否定的にとらえるのではなく、直視することで失敗を新たな創造という、プラス方向に転じさせて活用しよう。」というのが本書の基本的な立場です。本日の聖書の箇所も、弟子たちの失敗が記されております。私たちはその失敗から大切なものを学びとって、信仰の成長へとつなげたいのです。弟子たちは主イエスの「さあ湖の向こう岸へ渡ろう。」というお言葉に従って舟を出しました。しかし予期しなかった事態に直面するのです。突風に見舞われ、漁師としての今までの経験や知識では乗り切ることが出来ない、困難が襲いかかってきたのです。「先生、私たちはおぼれて死にそうです。」と叫び声をあげました。私たちは何の問題もなく順調な時は、主イエスの存在を忘れてしまうのですが、問題が起こり、困難な情況に直面した時は、「神さま、神さま!」と弟子たちのようにあわてふためくのです。私たちは恐れ、不安と絶望に陥るのです。私たちの信仰は嵐の中では少しも役に立たないのです。嵐と波を静めた後、主イエスは弟子たちに「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と主イエスに対する弟子たちの信仰を問われました。「信仰がない」のでも「信仰が薄い」ことでもありません。信仰はあるが、的はずれ、あるべき場所にきちんと置かれていないことが問題でした。弟子たちは「イエスはぐっすり眠ってしまわれた。」と思ったのですが、ほんとうは、主イエスへの信仰がどこかに忘れ去られ、眠っていたのは弟子たちだったのではないでしょうか。キリストの主権は、まどろむことなく、弟子たちを守っていたのです。(詩編121:3~4)ほんとうの信仰は、どんな時にも目覚めているのです。あなたの信仰が激しい嵐に会う時、私が主イエスを信じた信仰ではなく、主イエスがこの罪深い、弱い私を信じて下さる信仰によってのみ、私たちは支えられているのです。嵐の湖を通り抜けて初めて明らかになるものがあります。見えてくるものがあるのです。それは、私たちの人生の海の嵐に立ちたもうお方、その名をイエス・キリストというお方の本当の姿です。この方が同舟して下さったのです。だからもう舟は沈まないのです。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(ルカ8:25)