礼拝メッセージ

5月1日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「ヨセフの子から神の子へ」          ルカの福音書3章23~38節

主イエスが、地上における伝道のみわざをお始めになったのが、およそ30才であったとルカは書き記します。私も神学校を卒業して伝道者として、主のお働きに従ったのが、30才でありました。そのこともあって「30才」という年齢は特別な思いを持っております。30才という年齢は、神様の仕事を始めるのにふさわしい年齢であると考えられる理由があります。一つには人間としての成熟度、そして社会的経験の深さからして一人前として扱われ、社会的責任を果たさなければならない立場に置かれる年齢であります。主イエスは、父ヨセフのもとで30才になるまで、さまざまなことを学び、成長し、成熟されてゆかれたのです。ルカはその事実をはっきり見つめ、「人々からヨセフの子と思われていた。」(ルカ3:23)と書き記したのです。そのヨセフの子から順次さかのぼって、頂点が「神の子である。」(ルカ3:38)となります。これがルカが描くまことの人(ヨセフの子)にして、まことの神(神の子)である、イエス・キリストの系図であります。では、ルカはこの系図を通して、私たちに何を語ろうとしているのでしょうか。第一にそれは、私たちは、それぞれが主イエスに連なる者であるということです。この系図には、有名な人の名前や、無名な人々の名前が書き記される中に主イエスの名が置かれ、その名を記されている一人一人が、主イエスに結びつけられております。アダムから始まって一本の糸が、人類の歴史の中を貫いて主イエスまでつながっている。そのいのちの流れの中に私たちも置かれているのです。第二に、私たちは、一人一人が罪に連なる者とされているということです。この系図の根元にアダムがいるということは、アダムの罪を私たち一人一人が受け継いでいるということです。そのことは、私たちは主イエスの救いを待ち望む者であることを意味しております。それゆえに、パウロは主イエスの名を「第二のアダム」(ローマ5:14)と呼びました。ここに、新しい根が据えられて、私たちは主イエスに接ぎ木され、そこから新しいいのちのつながりが始まるのです。第三に私たちは、一人一人が、神に連なる者とされているということです。「このアダムは神の子である。」(ルカ3:38)ということは、私たちは、アダムからヨセフにいたる人間の罪の系譜を通り抜けて、神に連なる者とされているということです。主イエスはアダムに到る全系列を救い取りながら、その系列を神に結びつけて下さったのです。主イエスは、私たちが持っているアダム以来の血の流れを入れ替えて下さり、新しい血筋が生まれてきたのです。その結果、私たちは、その血筋を辿り直して、「私は神の子であった。」と言える者にされて、自分の家系の最後に「そして神にいたる。」と必ず書くことができるのです。この主から受けた恵みを感謝し、喜びと誇りを持って、神の子として、主の兄弟としての人間の歩みをして参りたいと思います。



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