礼拝メッセージ

4月9日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「私について来なさい」           ルカの福音書9章57-62節
 本日の本文は、イエス様と弟子たちがガリラヤ地方からエルサレムに向かう途中で起こった内容です。時期的に言いますと、十字架の出来事をわずか数カ月位残している時であって、エルサレムに向かうというのはその十字架のためでした。そのような途中にイエス様について行こうとする3人の人々が現れます。彼らの姿を通してイエス様について行きたいと思う者が持つべき態度等を考えて見ることが出来ます。
 最初に出て来る人は「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」と言いました。この人は、マタイの福音書8章19節を見ますと「律法学者」です。当時の律法学者たちはイエス様に対して敵対心をもっていましてイエス様を如何したらいいのかと妬み、やがては十字架につけてしまいます。そんな他の律法学者たちとは大きく違って、イエス様のところに来てついて行くと言ったのは大変素晴らしいことかも知れません。しかし、イエス様の彼に対する答えを見ますと、そのことばの本当の意味を分かっていなかったようです。イエス様について行くというのは、自分のための生き方を捨てて他の人々のために自分を犠牲にする人生を生きるという事です。イエス様はそのような覚悟が合うのかどうか、もう一度考えて見るようにして下さったのです。今度はイエス様からある別の人に「わたしについて来なさい。」と言われました。そのように話しかけてくださって、この世の中で自分がやるべきこととイエス様について行くこととの大切さや緊急性を教えて下さいます。最後の三番目の人はイエス様に「主よ。あなたに従います。」とまで言いました。しかし、彼の心の中には「家の者」についての人情があり、イエス様について行きたいと思いながらも後ろに向いてしまうところがありました。
 私たちの心、思いはどうでしょうか。私たちは、ただイエス様だけを仰ぎ見て「私について来なさい」という言葉に、徹底的に無条件に従っているでしょうか。今日も「私について来なさい」と仰ってくださるイエス様を覚えて、その教えに従う者になりたいと思います。

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