4月16日(日)礼拝メッセージ要旨
「ヘブロンに帰って来る」 Ⅱサムエル記2章1〜11節
長い間、ダビデの命を狙っていたサウルは、ペリシテ人との戦いの中で死にました。サウルだけではなくヨナタンも死にましたが、その知らせを聞いたダビデは非常に悲しみました。しかしサウルとその息子であるヨナタンの死によってダビデはイスラエルの王になることができるようになりました。既にダビデはサムエルによって油注ぎを受けました。そしてサウルもヨナタンもダビデが次の王になること話していました。ですから、サウルをヨナタンが死んだこの時、ダビデはイスラエルの民に自ら王であることを宣言すれば、それでイスラエルの王になることができたのです。
ところが本文の1節を見ますと、ダビデは神様にこれからのことを伺います。今までのダビデは自分の思いや判断に頼って来ました。イスラエル人でありながらも、ペリシテ人の町ツィクラグに住んでいた事も自分の思いの中でそうように判断したことです。それによってその後、ダビデは色々な大変なことを経験するようになります。その経験を通して、自分の思いに頼ることではなく、神様に伺い神様に頼って行こうと、そのような思いに変えられたことだと思います。そしてイスラエルの王になる第一歩において、先ず神様に伺い、そのみこころに従って行こうとしたのです。そして神様のみこころに従ってヘブロンに帰ってきたら、ユダ部族の人々が来まして自分だちの王としたのです。神様のみこころを伺い、そのみこころ通りに従ったダビデ、そのダビデがイエスエルの王になるのは、とてもスムーズにできるように見えます。
しかし、アブネルがサウルの生き残った息子イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、そこでイシュ・ボシェテをイスラエルの王とします。これによってイスラエルの北側はイシュ・ボシェテを自分たちの王とし、ユダ部族だけがダビデを王としたのです。これによってダビデがイスラエルの全体の王になるまでは7年6ヶ月を待たなければならなくなりました。神様のみこころを伺い、それに従ったダビデ。最初は自分が願う通りになるように見えましたが、しかしイスラエルは二つに分かれ、同じ民族同志に戦いをもするようになります。このような困難と戸惑いがありますが、それでも神様はダビデを導いて下さっておられます。私たちの信仰の歩みも同じではないでしょうか。思う通りにならない、苦難や苦しみは繰り返しいる。そのような歩みの中でも神様は私たちを守り導いて下さっておられることを覚え、その神様を仰ぎ見て歩んで行く者になりたいと思います。