礼拝メッセージ

4月15日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「広がりゆく主の教会」             使徒の働き2章1~13節

ここに、最初に生み出された教会の姿があります。この教会の原型に従って、私どもは教会を形成していくのです。                       (1)教会とは、信じて待ち続ける群れであります。(使徒2:1~2)弟子たちは、主イエスから聞いた父の約束を待って一つ所に集まり「みな心を合わせ、祈りに専念していた。」のです。(使徒1:14:)彼らは父の約束が実現するまで祈り続けたのです。私たちの祈りは、どこまでも待ち望んでいく祈りでなければなりません。神は最善の時に、その約束を実現されるのです。時は満ち五旬節の日になって、神の霊が彼らに下ったのです。                (2)教会は、聖霊の力が溢れている群れであります。(使徒2:3~4)十字架の場面では、弟子たちは逃げ、裏切り、復活の出来事さえ疑い、無理解と不信仰を示した弟子たちにとって、今こそ新しい生命の源が必要でした。それが聖霊です。聖霊よって、弟子たちは十字架にかけられたイエスの死と復活を理解し信じたように、聖霊によって私たちもキリストの証人とされるのです。従って教会とは、このような生命を持った者たちの集まりです。そして、この新しい生命を持つことが、教会の会員の資格であります。                                                              (3)教会はまた、全ての信者が必要とされている群れであります。(使徒2:2~3)聖霊は「家全体に響き渡った。」のです。そして「ひとりひとりの上にとどまった。」のです。賜物が異なっても一人一人が重んぜられ、聖霊の注ぎを受けたのです。教会には不必要な人は誰もいないということです。ここから一つの原則が導き出されます。「宣教する教会は一つであると共に多様である」ということです。                                    (4)さらに教会は、神の大きなみわざを証しする群れであります。(使徒2:4~13)ガリラヤ人と呼ばれたペテロを始めとする集団に、どれほどの力があり、影響力があったのでしょうか。聖霊は人間の持っている能力に依存して、福音宣教の働きを託そうとはされませんでした。ひたすら恵みと憐れみにしか、生き得ない者たちに、福音宣教をゆだねられたのです。ペテロたちは、このいやしき者を愛し、お救い下さった「神の大きなみわざ」を自分の言葉で語っただけでした。今や「教会の時」「聖霊の時」「宣教の時」です。そのために聖霊は、あなたを通して、この働きをすすめられるのです。


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