4月12日(日) 礼拝メッセージ要旨
「キリストのからだである教会」 エペソ人への手紙1章22-23節
本日の本文でパウロは、イエス・キリストについて万物の統治者であると説明します。22節に「いっさいのもの」という言葉がありますが、それは物質的なすべてのものだけではなく、目に見えない霊的被造物、そして全宇宙を表す言葉です。このいっさいのものが神様によってキリストの足の下に従わせられ、そしてキリストはいっさいのものの上に立つかしらとなりました。こういう表現は、キリストの主権を強調することであり、神様によって最高の座に着かせられたイエス・キリストが万物を統治され、万物の主であられることを説明していることです。私たちは、先ずイエス・キリストの統治が宇宙全体に対するものであり、その方の統治が決して教会に限定されるものではなくて、いっさいのものに及ぼすものであるということをしっかり覚えなければなりません。
続けて、キリストと教会との関係について、「キリストを教会にお与えになり、教会はキリストの体である」と説明します。即ち、「教会のかしらであるキリスト、キリストの体である教会」ということになりますが、それはキリストと教会が結合され一つになるということです。この結合とは、ぶどうの木とそれにつながっている枝のように、命が流れていて、命に満ちている有機的な関係です。ですので、教会はイエス・キリストを離れては存在できないし、教会のすべてはイエス・キリストから流れるものです。そしてかしらであるキリストは教会を守り、導き、治め、命を与えて下さるお方であるのです。
ある神学者は次のように話しました。「人間存在の全領域の中で、万物の主権者であられるキリストが『これは私のものである』と宣言出来ないところは一つもない。」キリストはいっさいのもののかしらであり、全宇宙がそのお方の足の下に従います。そして教会はそのお方のからだです。このような信仰告白が、まず信じる私たちの人生のすべての領域において現れ、イエス・キリストを主とし、その方に従う者になりたいと思います。