礼拝メッセージ

4月10日(日) 礼拝メッセージ要旨 

 

「祈るキリスト」              ルカの福音書3章21~22節

人間の最も美しい姿、それは祈る姿です。写真集で見るマザー・テレサの祈る姿に心打たれます。ルカの福音書はその「祈るキリスト」の姿を洗礼をお受けになった場面で描いております。ヨハネの福音書は、主イエスの祈りの内容を詳しく書いておりますが、(特にヨハネの福音書17章)ルカの福音書は祈っておられる主イエスのお姿を強調しております。主イエスは父なる神との深い関係の中で公生涯を送られました。その間、祈りを通して父なる神のお答えを聞き、弟子たちを選び(ルカ6:12)ご自分の道を進まれます。このように主イエスは、祈りをもって救い主としてのお仕事を始められるという重要性をルカの福音書は強調しているのです。祈るキリストの姿を間近に見ていたキリストの弟子たちは自分たちの祈りがあまりにも貧しいので、主イエスに「私たちにも祈りを教えてください。」(ルカ11:1)と願いました。その願いに答えて主イエスは「祈るときには、こう言いなさい。」といって教えてくださったのが「主の祈り」(ルカ11:2~4)でした。主イエスはキリスト者のあるべき姿として「主の祈り」を祈ることを願っておられました。「だからこう祈りなさい。」(マタイ6:9)と言って弟子たちに主の祈りを教えられたのです。いつの時代においても、キリスト者であればだれでも祈りについて教えられ、祈りにおいて成長していくことは、信仰者としての健全な姿なのです。さらにルカの福音書が「祈るキリスト」について強調していることは、主イエスの歩みはどこを切っても祈りの歩みであったことを、ルカは福音書の中で書き記しております。公生涯を祈りをもって始められた主イエスは十字架の上においても祈り続けられました。主イエスの祈りこそ真実に確信に満ちた祈りであったと言うことが出来ます。このことを知る時、私たちの祈りがどんなに小さく、貧しい、心細いものであったとしても、最後に「主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」と祈ることができるということが、どんなに感謝なことであるか。そのことを覚えたいのです。主イエスは何度もわたしの名によって祈るならば、聞かれないことはないと約束して下さいました。それは主イエスと父なる神との確かな絆によって私たちの祈りが支えられているからであり、父なる神と私たちの絆がそこにあるからなのです。



.


礼拝メッセージ要旨一覧はこちら