3月3日(日) 礼拝メッセージ要旨
「女の苦しみ」 創世記3章16節
大河の始まりは、ひっそりとした山奥の湧水が源泉となり、源流となっているように、神の救いの歴史にも源泉があり、源流があります。その源流を遡れば創世記3章15節の源流に辿り着きます。ここから神の救いの歴史は始まったのです。そのためこの箇所は「原福音」と呼ばれてきました。この福音の湧水が最初に流れ込んだところがアダムとエバの家族でした。(ルカ福音書は救い主イエス・キリストの系図をアダムまで遡って記しています。ルカ3:23~38)しかしそのアダムの家族で兄弟殺しという悲劇が起こるのです。何故このような事が起こるのでしょうか。その人間の苦しみ、痛みの起源について語っているのが3章16節なのです。この箇所は罪を犯した女に対する神の刑罰が語られております。その第一の刑罰は「産みの苦しみを大いに増す。」ということでした。女性には女性特有の苦しみ、悲しみがあるのですが、その苦痛の最たるものが「苦しんで子を産まなければならない。」ことでした。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。」(創世記1:28)と、出産は神の祝福の賜物でありましたが、罪を犯した結果、事の真相がすっかり変わり、今では「苦しんで子を産む。」という、のろいと災いが加わってしまったのです。第二の刑罰は「しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」という夫と妻の関係に見られます。あれほど女として、妻として、母としての特有の苦労があり、苦痛があっても「それでもなお、あなたは夫を恋い慕い」結婚にあこがれ、夫にしがみつくのです。しかもその夫は「あなたを支配することになる。」というのです。しかし創世記に登場する族長たちの妻、サラ、リベカ、レア、ラケルたちは夫に治められても反抗することなく、仕えることにおいて、神の召しに応える、毅然とした態度を持ち続けた妻たちであったことを覚えましょう。「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの神を怖れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。」(ペテロ第一の手紙3章1~2節)