礼拝メッセージ

3月23日礼拝メッセージ要旨 崔永焄(チェ・ヨンフン)先生

 

「キリストと共に」            エペソ人への手紙2章1~7節

 本日のみことばには、霊的に死んでいる事と生きている事が良く説明されています。霊的にと言いましたので、息をしているのかどうかという肉体的な事ではありません。しかし、その霊的状態がやがて私たちに現実として現れるのです。                                                                     1-3節では霊的に死んでいる状態について説明します。人は自分の罪過と罪との中に死んでいます。このように霊的に死んでいる人はこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者に従います。そして自分の肉と心の望むままを行ないます。そのような人は、神様を見上げる事も、神様を見つける事も出来ません。そして神様に従う事も出来ないし、死んでいるという表現から分かるように神様に反応する事も出来ないのです。人は罪に対して、そして神様に対して自由ではありません。人は罪から自らの力で逃れる事が出来ないし、自らの力で神様に向うことも出来ない存在なのです。人は罪を犯かさない自由もなくて、自分の意思で善いものを選ぶ事も出来ない状態にいます。それが霊的に死んでいる人の姿なのです。                                                          しかし、4節からはそのような人に希望が見え始めます。このような死の状態にあった私たちを神様が憐れんで下さったと言います。そして神様ご自分の愛によって救いを与えて下さったと言います。このように、4-7節では神様の憐れみと恵みによって、死んでいた人にいのちが与えられた事について説明します。神様は私たちをキリストとともに生かし、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせて下さいました。その目的は「あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるため」であります。                                神様の豊かな恵みに感謝し、私たちが救われたという事には神様の大きな目的があるという事を覚えなければなりません。私たちを通して栄光を受けられ、そしてご自分の豊かな恵みをお示しになる神様を覚えたいと思います。

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