3月2日(日) 礼拝メッセージ要旨
「自らを滅ぼす人間」 創世記6章9~13節
「ひとり ただくずれさるのを まつだけ」この言葉は、7月の夏の暑さが残る夕暮れの空に、自ら身を投げて12才の生涯を閉じた一人の少年が残した詩の手帖の表紙に書かれていた言葉です。この少年は精一杯生きた。しかし生き続けることはできませんでした。この少年はくずれゆく自分をどんな思いで見つめていたのでしょうか。神もまた洪水を前にした人間の大地を、ひとり見つめておられます。その状況は「ひとり ただくずれさるのを まつだけ」の腐敗し、毒を含み、悪臭を放っている深刻なものでした。その状態について聖書は、「地は、神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。」(創世記6:11~12)と記されております。その堕落は、神が人を創造された事を悔やみ、心を痛められたほどでした。(創世記6:6)そして、神はノアに「それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。」(創世記6:13)と仰せられた。実に衝撃的な宣告です。創造の時に、神から与えられた神の似姿を失い、人間自らが堕落している。神が見ておられる眼の前の光景は、このように 悲愴なものであり、神は彼らを滅ぼすと決意されたのです。それは、心を痛められ、苦しみ、人を造ったことを後悔されるという、神の思いの中での決断だったのです。しかし、このような堕落した時代の中でさえ、神はノアを通して恵みと祝福をお与えくださいました。洪水は根絶であると同時に救いなのです。それは審きであり、同時に恵みなのです。洪水は破壊であり終わりです。しかしそれは、新しい出来事の始まりなのです。ここで遂にノアが登場します。彼は「神とともに歩んだ。」(創世記6:9)人であり、「正しい人」であり、神の命令には完全に従う「全き人」で、非の打ち所のない人でした。ノアは神の救いの器であり、恵みの器であります。神の審きの後の新しい出来事の始まりを告げる者として登場するのです。神が滅びから守られた一人の人として、やがては、救い主イエス・キリストの救いの出来事を指し示す者として、神はノアをお用いになられたのです。