礼拝メッセージ

3月18日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「悔いた心―愛と赦しの光景」        ルカの福音書7章36~50節

本日の聖書の箇所は、教会の階段の踊り場にあります、金井りつ姉妹の心を捉え一枚の絵になりました。それほどにこの光景は、そこに居た人々の心を動かした出来事でした。「罪深い女」(ルカ7:39)として、世間の冷たく、きびしい風にさらされながら生きてきた女が、今流れ落ちる涙で、イエスの足を濡らし、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして、香油を塗ったのです。(ルカ7:38)これは想像出来ない光景でもありました。パリサイ人にとっては、イエスがもし神から遣わされた預言者であるなら、この罪に汚れた女と一緒にいることは許し難いことでした。一方この罪深い女にとっては、これらの行為は、イエスに対する感謝と愛の現れでした。私たちは、この場面を思い描くだけで、愛と赦しのメッセージが、直に伝わってきます。ここに人間の真に美しい心を見ることが出来ます。人間の最も美しい姿、それは祈る姿であり、自分の弱さや、影の部分である罪深さに涙する姿です。ダビデの「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩編51:17)の詩編を想い起こさせます。今罪の女は、イエスの恵みに満ちた、確かな御手のうちに支えられ、人生の歩みを始めるのです。彼女は安心して、これからの人生を生きることが出来るのは、彼女が救われたことにありました。イエスが、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と保証されたからです。しかし、この罪赦された女は、イエスから離れてどこへ出て行くのでしょうか。それは、かって自分が罪深い生活をしていた所、世間の白い目が遠慮なく注がれる所で、これから生き続けなければならないのです。その彼女の背中を押し出すように、イエスの思いやりのある言葉がかけられるのです。「安心して行きなさい。」(ルカ7:50)主が愛をもって赦された罪の女に、お与えになられた言葉です。それは、これからはあなた一人ではない。私が共に歩み、支え、守るという、イエスが共に生きて下さるという、確かな約束の言葉なのです。この罪赦された女が、その後、「あなたの罪は赦された。」という言葉と「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」というイエスの言葉を支えにして、その信仰生活を生き抜いたことを私は信じたい。


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