3月13日(日) 礼拝メッセージ要旨
「義に飢え渇いている者」 マタイの福音書5章6節
本日のみことばは、八つの祝福の中で4つ目についてです。私たちは心の貧しさを知り、それに対してどうしようもなく自分の心の貧しさに涙を流して悲しむことしかできない存在でありました。そしてそのような自分の弱さを認識するようになった者なら、神様の御前でへりくだって、すべてを神様に委ね、みこころに従う者であるということを考えて見ました。ところが、この四つ目の祝福では今までとは違って、大きな方向転換の姿を見ることが出来ます。それは自分の貧しさを知り悲しむばかりではなく、義への飢え渇きという積極的な願いをもつということです。
私たちが飢え渇いて求めなければならない「義」とは、何でしょうか。それは、ある社会で規則を正しく守って約束を良く行ない、道徳や倫理を良く守ることなどに留まることではありません。勿論、このような姿もその社会において「義」であるとも言えるでしょう。しかしクリスチャンである私たちが求めなければならない「義」とは、神様が私たちに教えて下さる「義」なのです。私たちの心を貧しくし、私たちを悲しむようにする根源的な原因、それは「義」のない状態であって、そもそも「義」がないので飢え渇いていることでもあります。そして飢え渇いているということは、その罪の状態から解放されたいと願い、心から激しく欲しいと渇望することなのです。ですからそれはある程度の立派な人になりたいとか道徳的に立派になりたいという事ではなく、根本的な罪の問題を解決して頂き、その罪から完全に解放されるようにと徹底的に願い求めることです。
イエス様はそう願っている人々に、義への飢え渇きを教えて下さいます。そのような義への飢え渇きを持っている人には、その飢え渇きが満ち足りるまで与えられると教えられています。義に飢え渇いているものを満ち足りるまで満たして下さる神様を見上げて、私たちに与えられた目標を目指して走っていく者となりたいと思います。