3月12日(日) 礼拝メッセージ要旨
「私の命は救われる」 創世記32章24-30節
本日の本文は旧約聖書の中でも非常に有名な場面です。ヤボクの渡しにひとりだけになっているヤボク。その向こう側に自分の全財産と家族たちを渡せ、暗やみのなかでひとりだけが残り、兄上エサウとのことを如何すれば良いのか心配し恐れおののいていました。この時のヤコブには自分の命を狙う兄エサウとの現実的な絶体絶命の問題がありました。それとともに、神様については神様が与えて下さった祝福の約束に対する確実で固い信仰があるかどうか、という内面的な問題もありました。神様はヤコブに祝福の約束をして下さいましたが、その後のヤコブの生き方はその約束だけを固く信じて歩んできたとは言えないものでした。神様を信頼し頼り委ねることより、自分の知恵や人間的なたくらみをもって今までの問題などを解決して来たのです。
ところが、今回の問題は違いました。ヤボクの渡しにひとりだけになってこれからのことを如何すれば良いのか、今までなかった心配と恐れに陥ったヤコブです。そんなヤコブに神様が現れ、格闘が始まります。この戦いにおいてヤコブは全力を尽くしました。そして格闘が始まってすぐ、自分の本当の問題を解決しなければならないということを悟るようになります。それは神様との関係についてのことであり信仰の問題でした。そしてこの問題に気付いたヤコブは兄のエサウとの問題より、「私を祝福してくださらなければ、私はあなたを去らせません。」と神様に縋りつき、もものつがいがはずれても離さないで、神様から祝福して頂きました。
このようなヤコブの人生と本文の出来事を通して私たちの姿を振り替えて見たいと思います。本文の神様との格闘以前のヤコブは、自分の計画とたくらみをもって、祝福への道を歩もうとしました。それはある時までは上手く行くように見えましたが、そうではなかったです。そんなヤコブに神様は現れて下さり、格闘の中で本当の問題を悟らせて下さいました。私たちは自分の力に頼りより、どんな状況からでも私たちを救って下さり守り導いて下さる神様を信頼し頼りつつ歩む者にならなければなりません。