礼拝メッセージ

3月11日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「私たちを待ってくださる神」         ルカの福音書 13章6-9節
 前の段落でイエス様は悔い改めなければ滅びる、ということについて厳しく教えてくださいました。そして続く本日の本文では、それでは何を悔い改めなければならないのかといことを短いたとえ話を通して教えてくださいます。あるぶどう園の主人がいちじくの木をぶどう園の中に植えました。それは、そのいちじくの木から美味しい実を取るためでした。ところが、何年が経ってもそのいちじくの木には実が結ばれなかったのです。ぶどう園の主人は、美味しい実がなることを期待し、3年もの間、実がなったのかといことを見に行きましたが、実は一つもなかったのです。それで等々、ぶどう園の主人は、番人にそのいちじくの木を「切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。」と言いました。それを聞いた番人は、主人に今年、もう一年を待って頂けないでしょうか、と願い出ます。その間、まこころを込めていちじくの木が実を結ぶように一所懸命に育てます、と。そしてそれでも実が取れないなら切り倒してください、と答えました。
 このたとえ話に出て来るぶどう園の主人は父なる神様を、番人はイエス・キリストを、そしていちじくの木は当時のユダヤ人又は私たちクリスチャンの事を現わしています。そこでぶどう園の主人は実が取れる時まで長く待っていましたが、それでも実がなかったので、もう切り倒してしなさいと言われますが、その中で番人はもう一年を待って下さいと一所懸命に執り成しをしているのでした。そして主人が期待していた実と言うのは、前後の文脈のことを考えて見ますと悔い改めの実です。神の民となり、ぶどう園というとても良い環境の中で、まこころを込めて育ててくださる番人までもいるのに、悔い改めの実を結ぶことが出来ない、という私たちの現状を現わしているのです。そのような私たちの側に立ち、もう一年待ってくださいと取り成してくださるイエス様の愛、またそのよう待ってくださる神様の恵みを覚えまして、聖霊の実を結ぶ者となりたいと思います。

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