礼拝メッセージ

3月10日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主よ祈りを教えてください」         ルカの福音書11章1~4節

「人間の姿で一番美しいのは、祈る姿である。」ある人の言葉です。また詩人長田弘の「祈ること。ひとにしかできないこと」という言葉を想い起こします。主イエスほど祈る姿の美しい人はいないのではないでしょうか。その形、祈る言葉、集中力、父なる神への揺るがない信頼。ですから弟子のひとりが「主よ、私たちにも祈りを教えてください。」と願い出たのは当然のことでした。弟子たちは主イエスの祈りに触れ、あまりにも貧しい自分たちの祈りを実感したのです。弟子たちは当然祈ることを知っていました。そして祈りの生活をしていたはずです。しかし主イエスの祈りと、自分たちの祈りとは何か違うことに気づいているのです。自分たちも主イエスが祈られるように祈りたいと願ったのです。そしてこれは私たちの願いでもあるのです。私たちが主イエスを信じたことによって、決定的に変わったこと、それは祈らなかった者が祈るようになったということです。ですから祈りの人になりたい。できることなら主イエスのように祈れるようになりたい。しかしどのように祈ったらよいのかわからない。それを教えてほしい。その事を誰よりも主イエスから教えていただきたい。それが私たちの共通の願いであります。それを私たちに代わって弟子たちが主イエスに願い出てくれているのです。さてここで私たちが覚えておくべきことは、「祈り願うこの祈りに、その人のすべてが現れる。」ということです。祈りにはその人のすべての思いが現れています。私たちは祈りを無視し、それを必要としないで生きることもできません。長田弘は「祈ることは問うこと。みずから深く問うこと。」と言いましたが、祈りには私たちの全存在、真実の姿が現れているのです。祈り深く生き得ない者は、そこで既に自分の信仰の浅さを示しているのかも知れません。私たちは、この主の祈りによって、自分の信仰を吟味することができます。自分の祈りを吟味するために、主の祈りを学ぶこと以上に適切なことはありません。これから、その主の祈りを丁寧に着実に学んでいきましょう。


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