礼拝メッセージ要旨

2月6日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「私の救いの神よ」                 詩篇51篇1〜13節
詩篇51篇はダビデの詩篇の中で、23篇と共に私たちによく知られている詩篇です。この詩篇はダビデの深い悔い改めの詩篇でありまして、ダビデの生涯の中で大きな罪を犯した後、その罪について神さまから教えられた後書いた詩です。
その罪とは、この詩篇の表題に「ダビデがバテ・シェバと通じた後、預言者ナタンが彼のもとに来たときに」と書いてありますように、ダビデのバテ・シェバとの出来事です。Ⅱサムエル記11章、12章を見ますと、ダビデはウリヤの妻、バテ・シェバと姦淫の罪を犯します。そしてそれを隠すために夫のウリヤを激しい戦場に送り死なせます。即ち、姦淫と殺人の罪を犯してしまったのです。ダビデは自分が思う通りに、誰も知らないようにこの罪を隠蔽したと思ったでしょう。しかし、神さまはすべてを知っておられまして、ダビデのところに預言者ナタンを送り、ダビデの罪を指摘しました。その指摘を受けたダビデは、1節、2節を見ますと全く指定もせず自分の罪を認めて神さまの恵みと哀れみを求めます。王として大きな力を持っていたダビデでありますが、しかしダビデは神さまを覚えましてナタンからの神さまの教えを大切に受け入れました。そして4節を見ますと「私はあなたにただあなたの前に罪ある者です。」と神さまの前で罪を犯したことを告白します。
罪についての人間の基本的は性質、それは自分ではなく他人のせいにすることだと思います。アダムとエバもそうでありましたし、そのような姿は誰も持っていることです。しかし、この時のダビデは違いました。自分が持っている強い権力を用いて罪の指摘を否定もせず、素直に自分が罪を犯したことを認め、罪人であることを告白し、ただ神さまの恵みと憐れみを祈り求めました。そして5節を見ますと、神さまに喜ばれる者となるために、ただ神さまにすがりました。そして7節〜9節では、ただ神さまだけが罪を赦して下さることができると告白しています。
私たちはこのようなダビデの詩篇を通して、大きな罪を犯してしまったダビデを捨てないで悔い改めに導いて下さる神さまを覚えることが出来ます。そしてそのような神さまの恵みの中で、自分の罪を知り、素直に告白し赦しを求めるダビデの姿を見ることが出来ます。そして神さまは、そのようなダビデを赦して下さいました。私たちの隅のような罪をも雪のように白くし赦して下さる神さまを覚えまして、その神さまにすがり歩んで行く者になりたいと思います。

1月23日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「いつも共にいてくださるイエスさま」  マタイの福音書28章11〜20節
イエスさまの行跡に従って福音書を学んできましたが、本日の本文でその最後となります。そしてその最後にイエスさまが弟子たちに残して下さった言葉は「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」という素晴らしい約束です。そしてその約束と共にイエスさまは弟子たちに宣教を命じられます。
本文の18〜20節は、あの有名な大宣教命令です。そしてそれを語られる一番最初に弟子たちを励まされます。18節の最初に「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」と語られます。即ち、全ての宇宙を支配しておられる神さまの権威の下で、この命令があなた達に与えられているということです。これから弟子たちはこの世に福音を伝えて行きます。その中でこの世の権威を持っている人々は、弟子たちを迫害し福音を伝えることができないようにすることになります。そのようなこの権威や力に対して弟子たちが恐れないように励まして下さることです。全宇宙を支配する権威を持っている神である私が、あなた方に命じることが、だからどんなことに対しても恐れることなく、これからのことを行ない福音を伝えなさい、と語られることです。
それではその内容は何でしょうか。それは「行って」、「弟子としなさい」ということです。そして「弟子としなさい」ということの具体的なことは「バプテスマを授けること」そしてイエスさまの教えを「守るようい教えること」です。そしてその対処は「あらゆる国の人々」ということですが、全ての聖徒が世界宣教に出て行くことは出来ないと思います。ですので私たちが福音を伝えるために送られたところは、私たちが置かれている場所と言えると思います。家族や知合いなど、その人にしか届けられない人々に対して、私たちは出て行き福音を伝えなければなりません。
そしてイエスさまはそのような私たちと「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」と約束して下さいました。信仰の弱い私たちは、時にはこの世の噂によって信仰が揺るがされ、疑いを持ち、恐れることがあります。そのような私たちにイエスさまは近づいてくださり、いつも共にいて下さるお方なのです。
私と共にいて下さる神さま、このインマヌエルの神さまを覚えまして、そのお方の恵みと愛に感謝を捧げたいと思います。そして私たちが頂いたその恵みと愛を、そして福音を愛する人々に、大切な人々に伝える者になりたいと思います。