礼拝メッセージ要旨

1月10日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「美しの門での出来事」         使徒の働き3章1節~8節

志賀キリスト教会牧師 青木稔

私たちの人生には「キッカケ」というものが必要な時があります。自分は不幸だ、みじめなだと思っている方が、辛いのは自分だけではないと知りますと、その人は、どうやって苦しみや悲しみを乗り越えることができたのだろうかと、ほんの少しだけ出口が見えてくるように考えるからです。たとえ見えてこなくても、出口があるかもしれないと、期待と希望を持つことができるなら、そこから、新しい人生が始まるのかも知れません。
本日の聖書箇所に登場します、生まれつき足のきかない男にとりまして、ペテロとヨハネとの出会いは、まさに人生を新たに歩み出す「キッカケ」となる出来事でした。
ペテロは大胆に「私たちを見なさい」と言いました。生まれつき足のきかない男性に「キッカケ」を与えようとしたのです。その言葉に男性は期待してペテロたちを見つめました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
ペテロは物乞いをしていた男を、上から見下げて「あなたにはイエス・キリストが必要だ」と命令のように語ったのではありません。ペテロ自身も貧しい者であることを認めて「金銀は私にはない」とへりくだり、同じ立場で物乞いをしている男に語りかけたのです。それは「金銀は私にもない」つまり「わたしもあなたと同じだ」という意味でした。
ペテロは祈り人であり、自らの弱さや貧しさを認め、と同時に、そんな自分を愛して生かして下さる、キリストの恵みを味わい知る人でもありました。ですから、自分と同じように弱さや乏しさに苦しむ人に、イエスの御名、その愛と力を知ってもらいたいと、福音を宣べ伝える者として、多くの人をキリストの救いに導くことが出来たのです。
新年を迎えて、私たちもペテロと同じように、弱さと貧しさを満たして下さる、イエスの御名によって祈り、キリストの愛に生かされて、福音を宣べ伝えてまいりましょう。

1月3日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「水と御霊によって新しく生まれる」      ヨハネの福音書3章1-15節

 本日の聖書は「ニコデモ」という人物がイエス様に訪ねてきた話しです。ニコデモは聖書についても良く知っているし、社会的にも多くの人々から尊敬される人物であったし、経済的にも豊かな生活をしていました。そのような彼が夜、イエス様のところに訪ねて来ましたが、イエス様とニコデモとの会話を通して新しく生まれることについて考えて見たいと思います。
 先ず、新しく生まれるということは漸進的に変わる事ではあります。Ⅱコリント5章17節に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と書かれている通りです。漸進的に変わって行くことは改善ですが、クリスチャンは新しく造られて新しくなるのです。それでは誰が新しく生まれなければならないでしょうか。ニコデモは「パリサイ人」であり、「ユダヤ人の指導者」であると紹介されています。そこからニコデモはユダヤの宗教的政治的指導者であり、非常に高い地位の人であることが分かります。また、ヨハネの福音書19章から、彼はお金持ちであることも知ることができます。このようにニコデモは聖書についても良く知っているし、社会的にも多くの人々から尊敬される人物であったし、経済的にも豊かな生活をしていました。そのようなニコデモも新しく生まれなければならないのです。そして何故新しく生まれなければならないのでしょうか。それはすべての人々は罪人であり、その罪人が新しくされなければ神の国を見ることも入る事もできないからです。それではどのように新しく生まれることが出来るのでしょうか。それは「水と御霊によって新しく生まれる」ことができるのです。
 聖書について良く知っていますが、教会に長年来ていますが、教会で色々な奉仕をしていますが、御霊によって新しく生まれてない人もいます。そのような方には、御霊によって新しくされる祝福が与えられますように心から祈ります。そしてすでに、その祝福を頂いた方は、神様の恵みと愛を覚えて感謝する者になりたいと思います。