礼拝メッセージ要旨

8月12日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「歴史の今をどう生きるのか」         使徒の働き7勝51~60節

敗戦から67年目の8月15日を迎えております。今、日本は少しづつ右寄りの波が押し寄せつつあります。1999年に国旗国歌法案が可決され、東京都、大阪府では式典で君が代を歌わない教員を処罰する露骨な動きが問題となっております。このような状況の中で私たちは、キリスト者として歴史の今をどう生きるのか、そのことが問われております。その生き方を私たちはステパノから学ぶことができます。ユダヤ人たちは自国の歴史を誇り高い神の選民の歴史としてだけ見ようとしました。そのため神に背き、預言者たちを迫害した先祖の歴史を正当化し、自国の民族の歴史を丸ごと肯定しようとしました。その姿勢をステパノはきびしく批判したのです。この使徒の働き7章に描かれている事は、かって日本の国が犯した歴史の誤り、そして今もその危険性を秘めている状況と二重写しになっております。かって日本は「皇国史観」という歴史観をもって太平洋戦争に突入しました。皇国史観は自国の歴史は誤りのない絶対なものであるとし、世界の歴史の中で日本の歴史を正しく見つめることができませんでした。戦後、日本は過ちを正しく評価し、民主的そして平和主義の立場で歴史を見つめ歩んできました。しかしそれを「自虐的歴史観」として攻撃して、皇国史観の復活を計ろうとする人たちが声をあげています。このような状況の中で、私たちはキリスト者として、歴史の今をどう生きるのか、そのことが問われております。戦時中日本の教会は「君が代」をうたい、神社参拝をし、戦争に協力しました。私たちは先人たちが犯した過ちを二度と繰り返さないために、キリストの証人として、歴史の今をしっかり見つめて歩みたいのです。歴史は過去だけにとどまることなく、やがて主イエスが来られる世界にまで続くことをステパノの証言から学び、その時まで、日本に生きる私たちは、神さまから遣わされたこの国の歴史、そして日本のキリスト教会の歴史を学んで、私たちに与えられた使命を果たさなければなりません。教会こそ、この地上における神のみこころを明らかにし、使命をもって歩む責任が委ねられています。ですから聖書からしっかり学び、御言葉に堅く立ち、この時代にあって何に立ち向かうべきかを知り、キリストの証人としての使命にいきましょう。

8月5日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「神の創造といのち(3)―生命の神聖さ―」      詩編139篇13~17節

「いのち」をどう捉えるかは、今日キリスト教のみならず、多くの宗教にとっても避けることのできない問題です。この「いのち」の問題を考える上で大切なことは、詩編の作者が強調しているように、私たちのいのちは神の眼差し、神の愛、神との深い関係を土台としているということです。本日の詩編は、人間である「わたし」が神に対して「あなた」と呼びかけています。神もまた人間にむかって「あなた」と呼びかける温かい眼差しをもって語りかけます。人間は神から「あなた」と呼びかけられる存在として創造されています。神だけがいのちの主として、人間のいのちの時を定め、どのように死を迎えるか、死に方を決定されます。このようにいのちは、神からの賜物として人間に与えられたので、どんな状態にあっても、生命活動は絶対的な価値があり、生かし続けなければならないという考え方を「生命至上主義」英語で「ヴァイタリズム」といいます。身体の生命の活動維持を絶対のことと考えます。しかし、キリスト教は生命を尊重する立場であっても、単なる「生命至上主義」ではありません。ここにいのちの問題に関連して、安楽死や延命治療、尊厳死など現代社会がかかえている課題に私たちは直面しております。特に延命技術の進歩、そして過剰な延命至上主義の医療によって、精神的、身体的苦痛に耐えなければならないという非人間的な生き方を強制し、人間の尊厳にふさわしい死を許されない現代の医療技術と、どう向き合えばいいのか、その事を私たちは問われております。私たちは神とのかかわりという観点から生と死を理解し、行動しなければなりません。私たちは神の御旨に逆らってでも、どのような代価を払ってでも、またどのような手段を用いてでも、生命の延長を至上命令として求める「生命至上主義」に陥ることなく、神との交わりにあるいのちを大切にするよう召されているのです。死は「生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ書14:8)と確信しているキリスト者にとって、最終的な敵ではないのです。

7月29日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「喜びと悲しみの世界を生きて」     サムエル記第一 8章1~6節

私たちの歩む人生とは決して単純なものではありません。その中身はどれ一つとして同じものはなく千差万別、変化に富んでいます。世間的には順調でしあわせそうに見える人が、その胸中に苦悩を抱えており、反対に恵まれない条件の中にあって、心豊かに生きている人もいます。私たちの人生とは、幸いと不幸、喜びと悲しみ、安らぎと不安という二つの世界がいつも同居しております。本日の主人公サムエルもこのような二つの世界を生き抜いた人でした。サムエルは、母ハンナの涙と祈りから生まれた子供でした。彼は幼い時から祭司エリのもとで教育を受け、「主の前で育った」(サムエル記第一2:21)人でした。何か聖なる、澄んだ印象を与える存在感があります。しかしサムエルが育った環境は望ましいものではありませんでした。祭司エリの息子たちは「よこしまな者で主を知らず」(サムエル記第一2:12)彼らの罪は「主の前で非常に大きかった。」(サムエル記第一2:17)ので、祭司エリの家は、神に裁かれて悲惨な終わりを迎えるのです。これらの出来事を祭司エリの側に居て、サムエルはすべてを見届けたのです。主の宮にあっても、つまずきの多い材料がいくらでもあるのです。しかし神は望ましくない状況にあっても、サムエルを導かれるお方なのです。やがて成人したサムエルは預言者としての働きに任じられると、偶像礼拝をやめさせ、ペリシテ人との戦いに勝利し、イスラエルに安定をもたらし、大きな業績を残しました。しかし、彼もまた祭司エリと同じ深刻な息子の問題で苦しまなければなりませんでした。彼の二人の息子たちは「さばきつかさ」であったが「父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」(サムエル記第一8:3)のです。この息子たちの堕落はどれほどサムエルを悩ませたことでしょうか。子どもたちの問題は心身にこたえるものです。さらにこの事が引き金となってサムエル自身も引退を迫られるのです。彼はイスラエルが大きく変わろうとする歴史の転換期において、預言者、士師また祭司としての役割を果たした偉大な人物でありましたが、その生涯はエリの家の親子問題、わが子の不道徳問題、民の背反、サウル王の不従順と失脚など、厳しい人生であり、心身ともに重圧に苦しむ日々であったと思われます。サムエルはこれらをどのようにして受け止めつつ前に進んで行ったのでしょうか。それは「サムエルは主に祈った。」(サムエル記第一8:6)という姿勢にありました。祈るということは、それはどんな時も神から離れず、前進するということなのです。神のみ心に自分を従わせようとする、その調整の時なのです。この姿勢は彼が祭司エリから学んだことでした。エリはサムエルから神の裁きが下ることを告げられた時、「その方は主だ、主のみこころにかなうようなことをなさいますように。」(サムエル記第一3:18)というエリの言葉をサムエルは忘れませんでした。私たちの人生は決して楽な道ではありません。いろいろな問題に直面しながら生き抜かなければなりません。その時に、私たちを支えてくれるもの、それは「サムエルは主に祈った。」という姿勢であり、エリの「その方は主だ。」という信仰の言葉なのです。

7月22日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主イエスの覚悟」             ルカの福音書9章28~36節

「イエスの変貌(変容)」と呼ばれるこの箇所は、教会の画家たちが喜んで描いた題材でした。その中でもフラ・アンジェリコの絵は、地上の人としてのイエスのご生涯において、ただ一度だけ栄光の輝きを見せた瞬間を黄色系の一色だけで描きました。今、旧約聖書を代表するモーセとエリヤがイエスと語り合う光景は、映像的には光に満ちた輝く場面であっても、そこで語られている内容は、逆に悲惨な、むごたらしい、主イエスの十字架の死が語られていたのです。その重要な場面にモーセとエリヤが選ばれたのは何故なのでしょうか?エリヤは北イスラエル王国の預言者として、主なる神を捨てて、バアルの神を信仰するアハブ王を非難し、生涯をかけて戦った人でした。彼の使命はイスラエルの民が主なる神を礼拝するよう、純粋な信仰に立ち帰らせることにありました。ゆえに旧約聖書最後のマラキ書には、「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」(マラキ4:5)と記されており、神の審判の前に、人々の悔い改めと主なる神へ立ち帰らせる働きをする、エリヤのような預言者が遣わされるのです。同じようなことは、モーセについても言えます。モーセもまた神から「解放者」としての召命を与えられ、エジプト脱出後、荒野の40年の旅を通して、イスラエルの民から絶えず裏切られ、最後にイスラエルの民全体の罪を負うて、神から約束の地に入ることを禁じられ、その生涯を終えた人でした。主イエスもまた、人々からののしられ、はずかしめられ、裏切られて十字架で殺されるのです。つまりここで起こっているのは、人間的に見ればまさしく悲劇の主人公の三人の対話であったのです。そして最も悲劇的な出来事「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期についていっしょに話していた。」のです。(ルカ9:31) ルカはこの「ご最期」という言葉に「彼のエクソドス」という原語を用いました。「旅立ち、出発」を意味する言語です。特に、エジプトから脱出(出エジプト)やこの世からの「旅立ち」すなわち「死」をあらわす言葉です。ルカがあえてこの原語を用いたのは、イエスの死が人類救出のための「第二の出エジプト」であることを強調したかったのです。私どもにとって最も厳しい闇は「死」であります。その死について主イエスは語られたのです。それはまた主イエスが死んでくださらなければどうしようもなかった、私ども人間の罪からの救いを語り続けておられたということでしょう。モーセとエリヤは共に、神の救いのご計画を神の御子イエスと語ることができた貴重な時間だったのです。

7月15日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主の死の教育」              ルカの福音書9章28~36節

人は病院で生まれ、病院で死を迎える。これが生と死の現代社会の姿であります。かって日本社会は、日常生活の中で生と死を間近に見ることが出来、触れることが出来ました。家で出産し、家で家族に看取られながら死を迎えました。それが当たり前の生活でした。今は生も死も私たちから隔絶されたところでの出来事になってしまいました。                                                                       さて主イエスと生活を共にしていた弟子たちは、死を間近に見る機会を与えられていました。特に主イエスは、ペテロとヤコブとヨハネの三人に対して、死の教育に注意を払われておられました。①ヤイロのひとり娘の死(ルカ8:49~51)②主イエスの最期について(ルカ9:28~31)③ゲッセマネの祈り(マルコ14:32~34)これら三つの出来事に共通していることは、「死」が中心の主題であり、この場面に必ず、三人だけを立ち合わせておられたということです。この事実は確かに重要な意味を含んでおります。ヤイロの娘の死については、3人は主イエスが死を支配されるお方であることの目撃者でした。山上では栄光の主の姿を目の当たりにすることが出来、死を寄せつけず、死を超越した主イエスが、やがて完成されるべき、ご自身の十字架の死について、モーセとエリヤと話し合われておられる姿の目撃者でした。ゲッセマネの園では、十字架の死を前にして恐れおののく、死に支配される姿の目撃者でした。このように三つの死に関する場面に触れさせ、それぞれの死の意味を考えさせ、死の教育を与えられたのです。特にベテロは晩年自分の死について、ペテロの手紙第二1章15節で、主イエスの栄光の目撃者としての証言を語る中で自分の死について「私の去った後に」という表現を使いました。この言葉はペテロがあの主イエスの変貌の山上で聴いた、主イエスの「エルサレムで遂げようとしておられるご最後について」(ルカ9:31)という同じ言葉を使いました。ペテロは主イエスの死を意味する「ご最期について」という言葉を決して忘れはしなかったのです。この言葉を用いたペテロは、自分の死を主イエスの十字架の死とのつながりの中で見つめ、自分の死の意味を理解したのです。「主イエスと共に在る死」「主イエスと共に死にゆく者」、これこそがペテロが理解した自分の死の意味でした。                                                                                   子どもの時から、しっかりした死生観を育む必要が叫ばれている今日、死が何であるかを子どもたちに伝えるのは、大人の役目です。そのため主イエスは聖餐式を通して死について考えさせ、記憶させ、死の教育を私たちに続けておられるのです。


7月8日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主イエスの死を学ぶ」            ルカの福音書9章18~27節

ペテロたちにとって、それは全く予想もしなかった言葉でした。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、捨てられ、殺される」(ルカ9:22)という主イエスの言葉に衝撃を受けたのです。これまで弟子たちは、主イエスの力ある業、権威に満ちた言葉と教え、多くの民衆から尊敬と感謝で受け入れられている「強いイエス」だけを見てきました。それは主イエスが、自分たちの期待通りのお方であったということの確かな証拠でした。ですからペテロは「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と問われた時、迷うことなく「神のキリストです。」(ルカ9:20)と告白したのです。しかし、その直後に主イエスの予告された苦難と十字架の死の意味が理解できなかったのです。ではなぜ、ここで主イエスはご自身の十字架の苦しみと死を予告なさったのでしょうか?それは、弟子たちに対して「強いイエス」だけを見ていては、死の意味が理解できない。主イエスの弱さの部分を見て始めて、本当の主イエスの死の意味が理解できる。そのために十字架の死という弱さを、弟子たちに教えなければならなかったのです。しかし十字架に現れる主イエスの弱さは、主イエスが弱いのではなく、実は弟子たちの弱さ、私たちの弱さなのです。この事が理解できるのは主イエスの十字架と復活の出来事を通してでした。あの十字架の死の場面で、「あなたは神のキリスト」と告白したペテロは、主イエスを裏切り、他の弟子たちも見捨てて逃げたのです。彼らはこの事を通して、弱い自分を知ることになります。そんな弟子たちや私たちに、主イエスは強さだけを示そうとはされませんでした。私たちの弱さ故に、その弱さ、苦しみを共にされる主イエスの本当の姿をお見せになられたのです。ペテロは主イエスを裏切るという、自らの弱さを通して主イエスの死の意味を知ることができたのです。罪人として死。罪の結果としての死。その自分の死というものを、主イエスは十字架の死を通して解決して下さった。主イエスの罪の贖いの死という、死の重みを悟ったのです。ペテロは主イエスの死を学ぶことにより、必ず訪れる自分の死を、主イエスの死にきちんと組み込んで生きたのです。死よりも強い主イエスの愛によって生かされていることを十分に自覚しながら生きたのです。


7月1日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

神の創造といのち(2)―死ぬ命 死なす命―      創世記2章4~8節

現代社会に生きる私たちは、主イエスの時代にはなかった新たな「いのち」の問題に直面しております。「生命倫理」と呼ばれる、『脳死、臓器移植、安楽死、自殺、尊厳死』等です。現代ほど生命の尊厳が危機に瀕している時代はありません。このような時代だからこそ、聖書の視点から「いのち」の問題を考える必要があります。聖書は私たちのいのちについて、神によって創造され、神に「いのちの息を吹き込まれ、そこで人は生きものとなった。」(創世記2:7)と語ります。私たちのいのちは、神の眼差しのもとで、神と人とは愛し合う交わりの中で、豊かないのちを育むことが出来るのです。この神との関係に生きるいのちであるという視点から、脳死と臓器移植を考える時、脳死の問題点は、脳死をその人の死と見なし、心臓や肺は動いていても、個人として死んでいる状態であり、生きているとは言えないと判断することです。特に長期脳死の場合、家族や医師にとって負担がかかり、本人にとっても利益になるものでなく、そのため延命の停止が行われ、臓器提供という手順になります。このように延命しても機能回復の見込みがない脳死は、身体全体の善のために臓器移植は正当化されてきました。最近6才未満の男児が初の脳死と判定され、臓器提供が行われたことが話題になりました。しかしここで重要なことは、そのいのちは死んでいるのではなく、紛れもなく生きている、かけがえのないいのちであると言うことです。そしてその生を否定することは出来ないのです。いのちをこのように見ることこそ、創造者である神の眼差しではないでしょうか。6才の男児の場合、確かに家族にとって辛く悲しいだけでなく、難しい決断であったと思います。そういう中で家族はこの男児と「あなた」と「わたし」という関係を持ち続けないと決断したのです。一方同じ脳死になった2才の女児の家族は、その子と人格的な触れ合いを持ち続け、看病し、女児が亡くなるまでの1年9ヵ月を一緒に生きました。母親は言いました。「脳死であっても、家族と共にそこから始まる、幸せな時間があるということを忘れないでください。脳死宣告は死亡宣告ではないのです。その子が自分のいのちの灯を消す日まで、しっかり寄り添って共に生きてください。脳死は死ではありません。」この家族にとって女児の死は1年9ヵ月後に亡くなったのです。詩編の作者は自分のいのちは、母の胎のうちで神が組み立て造られたものであると告白し、次のように神を賛美しました。「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」(詩編139:14~16節)

6月24日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「恐れないで、ただ信じなさい」      ルカの福音書8章49~56節

「あなたのお嬢さんはなくなりました。」という知らせは、ヤイロに「間に合わなかったか!」という無念さと、死で全てが終わりであるという絶望が、彼を深く悲しませたのです。ここまで精一杯やった。しかし力尽きた。イエスは自分の望む方向に事態を好転させて下さらなかった。ポッカリ穴のあいたヤイロの心に、イエスの言葉が投げこまれます。「恐れないで、ただ信じなさい。」そのイエスの言葉だけが、彼の胸中にひびくのです。イエスは「死」が終点ではなくて、「途中」でもあるかのように前へ進んで行こうとされます。だれであっても「死」の前では引き下がらなければならないというのに、イエスはそれを踏みつけて前へ進もうとされるのです。ヤイロが恐れと絶望へと引きずり込まれようとしているその時に、待ったをかけるかのように「恐れないで、ただ信じなさい。」というイエスの声が彼に届くのです。少女の死を前にして人々は泣き叫び、騒ぎ立てているところにヤイロはイエスと共に戻ります。イエスは嘆き悲しむ人々に向かって「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」と言われます。しかし人々は「あざ笑った」のです。力尽きて絶望した人にはイエスの言葉は届かないのです。イエスは私どもの死を神の視点から見ていて下さる。ヤイロの娘は主イエスの神によって起こされたのです。「子どもよ。起きなさい。」それはやがてイエスを死から甦らせた神のあの復活を予告させる出来事でありました。少女はすぐに起き上がり、少女に食物が与えられます。これは復活後ガリラヤ湖畔で共に魚を焼くイエスとペテロたちの光景の予告編でもありました。やがて私どもも死の床につく時、復活の主イエス・キリストが「さあ起きなさい」と声をかけて下さる。私どものいのちは再び立ち上がる。そしてキリストの復活のいのちにあずかるのです。今ヤイロはこの事実を自分の目で見、触れることによってその信仰はより確かなものにされていったのです。

6月17日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「力の限り、ふさをつかむ信仰」        ルカの福音書8章40~48節

人は同じ時間を生きても、「生」という字に読み方が幾通りもあるように、一人として全く同じ人生はありません。本日の聖書に登場する二人の女性も、12年間という歳月は同じであっても、その人生は正反対のものでした。一人の女性は、会堂管理者ヤイロのひとり娘です。ひとり娘ということで、どんなに大切な子であるか、私たちはよくわかります。12才になるまで大切に、娘のしあわせを願う親の愛情に見守られつつ、しあわせなな人生を過ごしてきたことでしょう。もう一人の女性は、「12年の間長血をわずらい」(ルカ8:43)その病に苦しめられた人生でした。彼女は「多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまった」(マルコ5:26)が、病状は悪くなるばかりでした。こうした違いはありましたが、この二人の女性は共通の問題に直面しておりました。それは「死」の問題です。ヤイロの娘は死にかけており、長血をわずらった女は死に向かいつつあり、二人とも絶望の中にありました。しかしこの絶望のさなか、主イエスと出会うのです。会堂司ヤイロは、一人娘の助けを求めて、主イエスの足もとにひれ伏します。けれども彼の信仰は、「主イエスよ、あなたは真の神、神の子ですから、娘も私も必ず救って頂ける方です。それを信じます。」と、主イエスへの信仰を言い表わしているわけではありません。ただ自分の悲しみ、自分の絶望を主イエスの足もとに置いただけです。彼は自分にとって望ましい状態を与えて下さるイエス・キリストを期待していたのです。それゆえその信仰は、まだ弱さを持っており不十分な信仰でありました。一方長血をわずらった女は「あなたの信仰があなたを直したのです。」(ルカ8:48)と主イエスに言われるほど、見事な信仰を見せたのです。この女の行動は命懸けとも言える「汚れた者として」当時の常識から考えると異例な行動でした。人を信じたいという想いは、人間が持っている根源的な欲求ですが、求めてもその願いが必ずしも受け入れられるわけではありません。そう考えると信じるということは、命懸けのことなのです。それを思いますと、長血をわずらった女は、恐れと不安を抱えつつも、その壁を突き破り、この「信ずる」という思いを命懸けで貫き通したのです。この女の姿は、主イエスに対する信仰に生きて救われたという点で、私たちの信仰の模範とも言ってよいのです。信仰とは、ヤイロのようにイエス・キリストが自分の望む方向に事態を好転させて下さると確信することではなく、長血をわずらった女のように、力の限り主イエスの衣のふさを掴むことなのです。

6月10日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「あなたの名前は何というのか」        ルカの福音書8章26~39節

「夜と霧」の作者としてその名を知られているオーストリアの精神医学者ビクトール・フランクルの「各時代には、それぞれの心の病がある。」という言葉があります。いつの時代でも人間は心の病、精神的な病に苦しめられてきました。聖書ではこの病を「悪霊につかれた」と表現しています。その病気の姿をきわめて具体的に、一人の男を通してルカは描いております。この男は主イエスに会うまでは、墓場に住み荒野に追いやられ、孤独な人として不安と恐れの中に生きていました。彼は「二つの自分」をもっています。悪霊に支配されている自分、つまり自分ではない自分と本来の自分です。主イエスはこの二つの自分を分離して、「真の自分」を取り戻させてあげました。主イエスはその根本原因である悪霊を取り除くことによって、彼の人間性を回復させたのです。彼がこのように回復できたのは、主イエスに「何という名か」と問われたことにありました。主イエスは「あなたは今どこにいるのか。」「本当のあなたは誰なのか。」と問われたのです。名前はその人の全存在を表し、名前が尋ねられるということは、自分自身が明らかにされることです。主イエスは悪霊によって混乱状態にある彼を本来の自分に戻されました。そして自主性と秩序を回復させ、健全な社会生活ができるようにして家に帰らせたのです。この出来事は主イエスが圧倒的な神の力を秘めた、真の救い主であることを証明しました。その力にゲラサ地方の人々は「恐れ」、イエスに退去を願います。自分たちの破滅を予感して「恐れ」たのです。こうして主イエスはゲラサ地方では、たった一人の信仰者を得たのみでした。しかしここでの伝道は決して失敗ではありませんでした。たった一人ではありますが、彼は自分が「救われた次第をその人々に知らせ」(ルカ8:36)「神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを」(ルカ8:39)語り始めたのです。異邦人社会の中で、唯一キリストの証人として語り続けたのです。福音はこうして一人の人によってでも語り継がれていくのです。それは地の果てまでも福音を叫んでまわる、壮大な任務ではありません。ささやかな務めです。ここに私たちのキリストの証人としてのあるべき姿を見ます。「彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中で言い広めた。」(ルカ8:39)