「主よ。お心一つで」 ルカの福音書5章12~14節
人は人生のある時点での出会いによって、その人の人生が大きく変えられる時があります。主イエスとらい病人との出会いはまさに、そのような決定的な出会いの瞬間でありました。らい病人は主イエスとの出会いによって、どんな時も人生には意味がある、なすべきこと、充たすべき意味が与えられたのです。しかしそこにはらい病人の主イエスに全身でぶつかる真剣さがあったからこそ、彼は主イエスによって人生に生きる意味を与えられたのです。その彼の真剣さは、彼の行動と言葉に明白にあらわれております。その行動とは、「イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。」(ルカ5:12)ことにあります。彼はらい病の故に、差別と偏見の中で社会から退くことを強いられた人生を、これまで歩んできました。しかし今彼は、主イエスを見ると、「汚れていますから近づかないで下さい。」と言って退いたのではありません。主イエスに向かって前進し、ひれ伏したのです。今彼の人生は、前に向かって一歩踏み出されたのです。どこに向かってでしょうか。「主イエスに向かって」であります。 そして彼の言葉「主よ。お心一つで」(ルカ5:12)と彼は主イエスに願い出ます。この言葉は「主よ、あなたがそうしようと欲して下さるかどうかに一切がかかっているのです。」という意味の言葉です。それは自分の疑いも迷いも全て主に委ねて、主のみ心のもとに立つということでもあるのです。徹底的な信頼にうら打ちされた言葉です。主イエスは驚きの目を見張って「ここに信仰がみつかった。」と言われます。また「私はきよくしていただけます。」という言葉にも注目しなければなりません。彼は「いやす」とか「治す」という言葉は使いませんでした。彼は単なる肉体上の問題の解決を求めているのではありません。むしろ宗教的なこと、人間として生きるための必要を求めているのです。当時らい病は、神から呪われているとされ、宗教的に汚れている者とされていました。そのらい病人に主イエスは手を伸ばして、誰もが忌み嫌うからだにさわられたのです。そして何のためらいもなく「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われたのです。こうして彼の人生は生きるに値する人生へと変えられていったのです。「それでも人生にイエスと言う。」(ヴィクトール・E・フランクル)と、彼は自らの人生を積極的に受け止めて一歩を踏み出したのです。今この時代、この地球のこの国のこの場所に置かれているということは、私たちに「なすべきこと」「充たすべき意味」が与えられているということなのです。この事をらい病人と主イエスの出会いは、決定的な意味をもって私たちに語りかけているのです。
「違った心を持つ生き方のすすめ」 民数記14章1~9節
旧約聖書の中で大きな出来事と言えば、預言者モーセが、エジプトからイスラエルの人々を脱出させ、約束の地であるカナンを目指して、荒野を旅していくことだと思います。イスラエル民族の大移動です。そこでは様々なドラマがありました。旅の途中で、紅海が二つに分かれた奇蹟。神から預言者のモーセに与えられた十戒。イスラエルの人たちは、神がともにいてくださることを感謝しながら、旅を続けていったのです。その旅のほとんどは荒野を通りました。荒れた土地ですから何もありません。それをご存じであった神は、イスラエルの人々に食べ物であるマナを天から降らせて養ってくださいました。水も与えてくださいました。にも関わらず、彼らは、荒野の生活につぶやき、不平と不満ばかり言っていたのです。 エジプトから脱出して、いよいよ約束の地であるカナンに近づいた頃です。モーセは、12人の偵察隊を遣わして、これから自分たちが行くカナンの地を探らせました。偵察隊は帰ってモーセに報告をします。「私たちは絶対に、約束の地カナンに行くことはできません。なぜなら、あそこには、自分たちよりも背の高い人たちがたくさんいるし、大きな城壁はあるし、戦いに慣れた人たちもいます。私たちが行ったら、殺されてしまいます。どう考えても、カナンの地に入るなんて無理です。不可能です。」と。それを聞いて、イスラエルの人々は失望落胆し、泣き叫んで眠れぬ夜を過ごしました。そして、神が自分たちをエジプトから助け出して下さった恵みを忘れて、自分たちはエジプトで死んだほうがましだったとつぶやいたのです。 しかし、12人の偵察隊の中に、ヨシュアとカレブという人物がおりました。二人はイスラエルの人々に、神様が約束されたカナンは素晴らしい土地だから行こうと言いました。しかし、彼らの声よりも、否定的な声が勝ったのです。その結果、イスラエルの人たちは、40年近くも荒野をさまようことになりました。彼らはゴールを目前にして、神の約束を信じることが出来ず、自分だけの思い、自分だけの考えにとらわれて「もう駄目だ」とつぶやいたのです。その結果、荒野をさ迷い歩くことになったのでした。 私たちはどうでしょうか。人生に襲ってくる様々な出来事に対して、どう応答しているでしょうか、どのような心を持って歩んでおられるでしょうか。神様は、私たちに「違った心を持つ生き方」の大切さを教えています。ご一緒に、聖書の御言葉から神様のメッセージを受け取りましょう。
「信じられなかった愛ーユダの悲劇」 マタイの福音書27章1~10節
ユダの悲劇のすべては、主イエスを裏切ったことから始まりました。この一事は彼の生涯の汚点となっただけでなく、歴史上裏切り者の代名詞として、必ずその名前が使われるという汚名を残しました。彼が何故主イエスを裏切ったのか。その理由、動機は永遠の謎であります。聖書に記されている数少ない、彼に関する記事をつなぎ合わせ私たちはその理由、動機を推測してきました。ある人達は、ユダは思い違いをしていたのだと言います。自分の思い描いていた主イエス像と現実の主イエスの姿の違いの大きさに気づかされ、自分の主イエスに対する期待が間違っていたことを知り、彼は主イエスに失望し、裏切ったという見方です。またある人達は、彼の金銭欲をその理由とします。ヨハネの福音書12章6節には、ユダが弟子たちの会計の仕事を任され、その預かったお金をいつも盗んでいたと記されております。そのユダが主イエスを祭司長たちに銀貨30枚で売り渡したことは、当然予測される出来事でした。またユダの裏切りは、仲間達への嫉妬のゆえだったのではないかと考える人達もいます。ペテロとヤコブ、ヨハネのような主イエスの側近の弟子としての立場が与えられず、仲間外れのような思いの中で、主イエスに対する失望と仲間に対する憎しみが、彼を裏切りの行為へと走らせたのだと見るのです。このように、ユダの裏切りの理由、動機は複雑で謎に包まれておりますが、そこに見えてくるものは、人間というものは相手に対する一方的な期待や願望が失われてしまいますと、結果的に裏切ってしまうという人間の本性の姿であります。しかしユダの悲劇が私たちに重く語りかけているものは、彼は主イエスに失望した以上に、自分自身に失望したということです。ユダは売り渡した主イエスが、罪に定められ死刑に処せられる判決を見て、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売った。」(マタイ27:4)と自分自身の罪深さに絶望し、魂の重圧に耐えかねて、自らの命を断ったのです。彼は自分の思い違いを絶対化しました。彼はペテロのように、悔い改めの涙を流し、振り向いて見つめられる主イエスの愛を信じて、従っていくことが出来ませんでした。何故なら彼の魂は閉ざされたままであり、決して主イエスに向かって開くことはなかったのです。 私たちはこのユダについて記憶しましょう。彼は自分の行為を後悔しましたが、しかし救いに至る悔い改めはしませんでした。ユダは私たちの戒めのため、灯台のように立てられているのです。彼のことをよく見つめ、信仰の破船に遭わないようにしましょう。
「人生の深みへの招き」 ルカの福音書5章1~11節
「あなたは人間をとるようになる。」(ルカ5:10)神のことばは、あらゆる時代を越えて、人々の心を捕えてその人を大きく変えていきました。漁師ペテロに語りかけられたイエス様のこのことばは、ペテロの人生を、大きく変えていくのでした。その日ペテロはガリラヤ湖で徹夜の漁をしましたが、何も採れず、疲労と無力感だけが残り、重い気持ちで朝を迎えていました。イエス様はそんなペテロと出会ってくださり、ペテロはイエス様を舟にお乗せすることができたのです。そこでペテロは自分の耳を疑うような、常識を破るイエス様のことばを聞くのです。「深みに漕ぎだして、網をおろして魚をとりなさい。」(ルカ5:4)こんな日中に沖へ舟を出す!漁師なら知り尽くしているからこそ、誰もやらない漁法です。人は自分の経験や体験から得た知識が、その人の自信となり、力となってその人の人生を支えていくものですから、そのために大いに信頼を置くことになります。イエス様のことばはそれら全てを否定するかのように、日中に沖へ舟を漕ぎ出して網をおろしなさいとペテロに語りかけます。ペテロにとっては全く非常識なことばではありましたが、ペテロはそのイエス様のことばにお応えします。「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」(ルカ5:5)と。その結果、網が破れそうになるほどの大漁でした。今までのペテロの人生で味わったことのない驚くべき出来事でした。神のことばは、夜通し働いても、何一つとれない疲れきったペテロを促し、人生の深みに漕ぎ出させます。圧倒的な神の力の前にペテロは「自分が罪深い人間である」(ルカ5:8)と告白します。そのペテロに、新しい使命に生きるよう、イエス様の招きのことばが再度かけられます。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」(ルカ5:10)ペテロは漁師から人間存在の「深み」から多くの魚を得るイエス様の弟子となり、新しい使命への自覚を与えられました。 主イエスは私たちに語られます。「あなたも、深みに漕ぎ出してみなさい。」と。主の恵みは海のように深く広い。その主の恵みの中へ、岸を離れ沖へ出でよと主イエスは語りかけられます。人生に疲れきって弱っている私たちの現実の直中に、主のことばは語られ、深みに漕ぎ出すようにと促されているのです。ペテロのように私たちも「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」とお応えしたいものです。
「主イエスの手当」 ルカの福音書4章31~44節
日本語の「手当」という言葉は、なんとやさしく、温かく、ほっとさせ、全てを包み込むような気持にさせる言葉でしょうか。幼い日に母から受けた手当を、私はなつかしく思い出します。熱を出した時、おなかが痛くなった時、けがをした時の、ひたいに置かれた母の手、さすってくれた母の手、皆さんもそんな思い出をお持ちではないでしょうか。この「手当」という言葉が、最も似つかわしいお方がイエスさまでした。ルカは「イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。」(ルカ4:40)と記しております。ひとりひとりに手を置いて、おいやしになるイエスさまは、ひとりひとりのための救い主であられます。その人の痛み、悲しみ、苦しみに触れるために来られた、その人のための救い主であられます。カペナウムの町には「手が付けられない」「手も足も出ない」「手に余る」「手の付けようがない」汚れた悪霊につかれた人、ひどい熱で苦しんでいる人、病気で体が弱っている人達が大勢いました。そんな困り果てている人ひとりひとりに手を置かれるイエスさま。イエスさまの手当は、その人を傷つけず、生かすためのものです。その事をルカは「その人は別になんの害も受けなかった。」(ルカ4:35)と記しております。薬害や副作用を引き起こして、人を苦しめたり、体を悪くさせたりはしません。 また「手を置く」という行為は、イスラエル社会の中では「聖別する」ことを意味します。イエスさまが私たちひとりひとりに手を置いて下さるということは、体だけでなく、魂も心もいやされ回復されるということでもあるのです。ところが「イエスは寂しい所に出て行かれ」(ルカ4:42)祈りのために、その手を置くいやしの働きを中断されております。いやされないまま、がっかりして家に帰った人々もいたでしょう。何故イエスさまはそうなさったのか。それは「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければならない」(ルカ4:43)からでした。他の町に行って、神の福音に生きる喜びを伝えること、それが神のみこころであったからです。「わたしは、そのために遣わされたのですから」(ルカ4:43)という救い主の道を歩み続けられるのです。主イエスの心の中にあったものは「父なる神よ、何がほんとうにこれらの人々の救いなのですか」という、激しい問いかけでありました。そこからやがて十字架の死と死からの復活という出来事が導かれてくるのです。そこにしか真実のいやしはないという、主イエスのまことの救いの道が明らかにされていきます。今ここにいる私たちは、肉体のいやしを経験された方はいないかもしれません。しかしもっと深く、もっと手厚く、確かに私たちをいやして下さる、健やかな主イエスの十字架の罪の赦しの手当、蘇りの永遠のいのちの手当があることをいつも覚えましょう。
「アンテオケ教会―海外宣教の基地」 使徒の働き11章19~30節
紀元1世紀頃、シリア州の人口80万都市の中に誕生したばかりの小さな教会、「アンテオケ教会」は最初の本格的な異邦人教会、最初の海外宣教の教会、最初に弟子たちが「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになった教会として、教会の歴史において、その占める位置は大きいものがあります。特に世界宣教の拠点、基地として教会の果たした役割は私たちの記憶から消えることはありません。アンテオケ教会は設立当初からすでに世界宣教、海外宣教に備えられていた教会でした。その教会の特徴は、第一に国際色豊かな都市(ギリシャ人、シリア人、ローマ人もユダヤ人在住)にふさわしく、自由で開放的な教会でありました。第二に信仰的にたくましく成長する教会でありました。多くの回心者が起こされ、霊的ないのち、信仰のいのちのたくましさがありました。第三によく訓練された教会でありました。教会は神の言葉の知識に基礎づけられた土台の上に建て上げられなければなりません。アンテオケ教会では、バルナバとサウロ(パウロ)が一年間教会員を教え、訓練しました。その結果神の言葉を通して神のみ心を知り、宣教の情熱が燃え上がりました。第四に、キリストを証する教会でありました。このアンテオケで初めて弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになりました。(使徒11:26)アンテオケ教会は圧倒的に異邦人が主流を占め、全信徒の熱心な証によって、ぐんぐん成長しました。信徒一人一人が至る所でキリストを証したのです。それが世の人々の注意をひき、評判となって「クリスチャン(キリスト党)」とあだ名されるまでになったのです。第五に、惜しみなく捧げる教会でありました。アンテオケ教会の兄弟姉妹たちは、エルサレム教会が非常に困っていると聞き、早速支援するために、計画的な献金集めに惜しみない心をもって一致して当たりました。それができたのは、彼らの献身が本物であったからです。しかし何よりアンテオケ教会がこのような教会であり得たのは、誕生したばかりの小さな教会にあふれている「神の恵み」でした。ギリシャ語で「恵み」と「喜ぶ」は同じ語根から出来ています。「恵み」のあるところにその当然の反応として「喜び」が生まれます。「恵み」を見出すことさえ出来れば「喜び」が必ずついてくるのです。「神の恵み」によって一つの主の群れが生まれ、信徒がその「恵み」を実感して生きている教会は、必然的に「喜び」があふれます。そこに「主の教会」が存在し、教会は「神の恵み」によってだけ立ちもし倒れもするのです。 アンテオケという古代都市は、今はアンタキエという名の小さな町になっております。しかしかってその町に存在した小さなキリストの教会がこの町の存在を教会の歴史の中に知らしめ、今なお、この町の存在意義を支え続けております。この守山キリスト教会も現代のアンテオケ教会として、主の恵みのあふれる教会として守山区の地に固く立ち続けることが、この町の歴史的存在の意義を与えることになることを覚え、「神の恵み」に生き、みなが心を堅く保って常に主にとどまっている(使徒11:23)教会でありたいと願います。
「主に愛される人として」 ヨハネの福音書11章1~6節
人はその存在そのものによて、自らを語り、現すことがことができます。ラザロがまさにその人でありました。 マルタ、マリヤの兄弟として、エルサレム郊外のベタニヤ村でイエスと親しく交わり、死からよみがえらされたものとして、ヨハネの福音書は印象深く描いております。 そのラザロですが、マルタやマリヤが主イエスとの会話や積極的な行動について記されているのに対して、ラザロが何を語り、何をしたのかということについては、何も記されていないのです。彼が主イエスにしていただいたことや他の人が彼について語ったり、したことだけが記されているのです。そんな彼をヨハネは、「主よ・・・あなたが愛しておられる者」(ヨハネ11:3)という一言で表現しました。「ラザロ」と言わないで「あなたが愛しておられる者」が病気ですと、わざわざ言い換えているのです。そして11節では「わたしたちの友ラザロは眠っています。」と主イエスは言われております。「友」と訳されているのが3節の「あなたが愛しておられる者」と同じ言葉なのです。ヨハネのように「あなたの弟子のひとり」とかあるいは「あなたを愛する者」ではなく「あなたが愛しておられる者」と呼ばれているのです。「あなたがこれまでずっと最愛の友として愛し、喜んで恵みといつくしみを尽くしてこられた者」とう意味です。それはラザロが死んだ時、主イエスは涙を流されました。それを見た周囲のユダヤ人たちは「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」(ヨハネ11:35~36)からも、主イエスがラザロをどんなに深く愛しておられたかがわかります。つまりここでは、キリストに対するラザロの愛ではなく、ラザロに対するキリストの愛が強調されているのです。ラザロが何を語り、何をしたかではなく、ラザロの存在そのものの重み、尊さを語っているのです。私たちは人生の営みの中で、何をしたかということも大切ですが、ラザロのように、神からも人からも愛される人間として存在している生き方も大切なことではないでしょうか。「愛される人」になる。その事だけでも立派な奉仕であり、周囲を和ませ、励まし明るくさせる意味のある生き方なのです。
「父であることの重さ」 サムエル記第二18章24~33節
聖書のエペソ人への手紙6章4節には、「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」とあります。このみことばの前で、私たちは、なんと父親であるということは、重い存在であろうか。誰が完全な父親でありえようかと戸惑う方が多いのではないでしょうか。かえって子どもの思いを受け止め、理解し、導いていく父親の役割を果たすことができず、子どもをおこらせてしまうというのが、私たちの実情ではないでしょうか。ダビデ王は、そんな父親としての苦しみを経験した人でした。それが本日の聖書の箇所「わが子アブシャロム、わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(第二サムエル18:33)というわが子アブシャロムの死を嘆く言葉に全て言い尽くされております。アブシャロムとは異母兄弟であるアムノンが、異母妹タマルを辱めてしまうという事件(第二サムエル13章)をめぐって、タマルと同じ母を持つアブシャロムと父ダビデとの間に溝ができてしまいます。父ダビデはこの事件について「激しく怒った。」とありますが、何もしなかった。そのためアブシャロムはアムノンに復讐し、異母兄弟の弟が兄を殺すという悲劇が起きました。人類最初のアダムの家族と同じことが繰り返されたのです。アダムの罪がアダムにとどまらず、その子供たちに引き継がれ、ダビデの罪は、その子供たちに受け継がれていった。ここに人間誰もが負わされており、誰もが負わなければならない罪のきびしい現実をみるのです。アブシャロムは父ダビデの顔を避けて、3年の間逃避行を続けます。その後、エルサレムに戻り、父ダビデと表面的には和解したかのように見えましたが、一度崩れた親子の絆は元に戻ることはなく、父親への不信感、怒りは、父ダビデへの謀反となって表面化します。最後はダビデの部隊によって不慮の死を迎えるのですが、またしてもダビデは、アムノンに続いて自分の子どもの死に対面することになります。怒りと悲しみとの混じった「わが子アブシャロム。わが子よ。」というダビデの慟哭は時の流れを越えて、国の境を越えて、すべての父親の心に届いてきます。 父親は子供にとって面倒な存在であります。時には嫌がられ、それでいてあるべき理想的な姿が求められております。求められていながら父親はその要求の前にどうすることもできない。しかしなくてはならない存在であります。それは、私たちが、主の祈りにおいて、「天にまします、われらの父よ。」と神を父と呼びかけることが求められておりますがそのことと深い関係があります。父親として子どもと関わることの全てが、この神を父とすることから始まるのです。あのルカの福音書15章11~12節に描かれている光景は、放蕩息子を父が迎え、抱きしめる姿であり、母は登場しません。父が出て行かなければならないのです。父親の登場です。どんなにだめな父親でも、この父なる神の赦しにあずかり、父なる神から託された存在、それが父親であります。そこに父親としての存在の重みがあるのです。
「主の恵みを告げるために」 ルカの福音書4章14~30節
主イエスの公生涯は、ガリラヤから始まりました。主イエスは御霊の力を帯びて、ガリラヤに行き(ルカ4:14)神の国の福音を宣べ伝えられると(マルコ1:14)、その評判は周りの地方全体に広まり、全ての人々の尊敬を受けられました。まさに「ガリラヤの春」のように花咲き、実をつけていったのです。ところが、ご自分のお育ちになられたナザレに行かれますと、その評判と評価は一変するのです。主イエスはいつものとおり会堂に入り、聖書を朗読し、話し始められました。人々は主イエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚きました。(ルカ4:22)そしてつぶやくのです。「この人はヨセフの子ではないか。」(ルカ4:22)われわれのよく知っている大工の子がなぜ、神の恵みのことばを語ることができるのか。なぜ今、そのような権威をもって神の救いを告げることができるのかと。たった一枚のレッテル「この人はヨセフの子ではないか」という評価が、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現した。」(ルカ4:21)にもかかわらず、恵みの実現を押しやり、ナザレの人々の心の中に実を結ぶことはありませんでした。人間の心は複雑です。ナザレの人々は主イエスの説教をほめ、喜んで聞いたのです。主イエスのナザレでの生き方や生活にいかなる言行不一致も指摘することはできませんでした。しかし主イエスの「大工の子」という低い姿につまずいたのです。そこで主イエスは言われました。「どんな預言者も、自分の故郷では歓迎されないものです。」と。このことから私たちは、主イエス・キリストを真に受け入れるということは、あの馬小屋にお生まれになり、私たちと同じように試みられた主イエスの低さを受け入れるということであり、その主イエスの語られるみことばを今日、この時、私たちが受け入れることにより、恵みと救いが実現するということであります。今日、私たちは自由に聖書を読み、礼拝のために集まることが出来ます。しかし、自分に与えられている恵みと神のあわれみは今この時なのだということを覚えたいと思います。『神の恵みをむだにうけないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』(コリント人への手紙第二6章1~2節)
「荒野に立ち続けるキリスト」 ルカの福音書4章1~13節
イエス・キリストは、私たちの「信仰の完成者である」(ヘブル人への手紙12章2節)と呼ばれております。その出発点がこの荒野での悪魔の試みであります。「御霊に導かれて荒野におり」(ルカ4:1)とありますように、この試みは神が人としてのイエスを荒野に追いやられ、救い主イエス・キリストへと完成させるための試練でありました。「試み」という言葉はまず、「何かを実現させようと試みる」という意味です。悪魔が主イエスを「試みる」のは、主イエスを神の領域から引き離し、自分の支配下に置いて救い主としての立場を失格させるという、悪意のもとに行われたものでした。従って悪魔の試みは巧妙を極めており、第一の試みに「パンのこと」つまり「食べること」を持ち出したことに見ることができます。40日間何も食べず空腹の限界にある主イエスにとって、今は何よりも食べること、空腹を満たすことが切実でありました。この事態を生き延びるためにもパンの問題は、切迫した課題でした。そこを悪魔は、まず激しく誘惑したのです。さらに悪魔の巧妙さは、これら三つの試みが「神のことば」を根拠にしてなされている点に見ることができます。「神のことば」を根拠にして人々のためになるという装いをもっている、極めて巧妙な試みなのです。第一の試みは、石をパンに変えるということから、どれほどの人が飢餓や貧困から救われるかしれないという魅力があり、第二の試みは、いっさいの権力と栄光を持ち、世界を自由に支配し、世界の人々の救いのために働くことができる。そのために、私を拝みなさいと悪魔は迫ります。第三の試みは「神の力をみんなにわかる形で表してみよ」というものです。主イエスが神の業を奇跡という仕方で成功させることによって、救い主として全ての人々の支持を受けることになるという悪魔の問いかけであります。主イエスは「神のことば」を根拠とする悪魔の試みに対して、ご自身も「神のことば」によって立ち向かいました。私たちの人生を支え導くものは、神の命令であるみことばにあること。(申命記8章2~3節)神から与えられた使命、目的を達成する唯一の道は、生ける真の唯一の神に期待すること。(申命記6章13~14節)神とそのみことばは試みるべきものではなく、信ずべきことであること。(申命記6章16~17節)こうして主イエスは、「神のことば」をもって悪魔の試みを一切拒否されました。このように主イエスは、ご生涯を貫いて「神のことば」を盾として試みの嵐を克服されました。「主ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになる」(ヘブル人への手紙2章18節)救い主として成長し、完成者となられたのですから、主イエスがどんなに同情心に富んだ救い主であるかを覚えましょう。そして私たちはが試みに会う時、助けを求めて主イエスのもとに逃れましょう。また、私たちが悪魔に立ち向かうための大切な武具は「神のことば」であることを覚えましょう。御霊の与える剣である(エペソ6:17)「神のことば」を取って悪魔に立ち向かうことなくしては決して戦い抜くことはできないのです。どうかこのあわれみ深い救い主を自らの経験によって知ることができますように。主イエスは昨日も今日も変わりなく、私たちのこの世の荒野に、共にいます主として立ち続けて下さっているのです。