2月6日(日) 礼拝メッセージ要旨
「主の愛の継承者」 ヨハネの福音書19章23~27節
今、日本社会は急激に変わりつつあります。家族、親族、地縁という絆が成り立たない時代を、私たちは生きております。単身生活の世帯が増え、その結果「孤独死」「身元不明の自殺」「行き倒れ」「餓死」「凍死」する人の数が年間32,000人にのぼります。ある人はそれを「無縁社会」と呼びました。そのことを象徴するかのように、自殺で20才の兄を失ったある女子高校生は、その兄について次のように語りました。「兄は誰からも愛されていないと感じていたと思います。兄は遺書の中でこう言いました。『ホームレスのように葬って下さい』と。帰る家があり、家族という絆があったのに、自分には居場所がないと思っていたのでしょうか。」 この記事から『誰からも愛されていないと感じていたと思います。』という言葉が、重く強く迫ってきます。そして、イエスの弟子ヨハネについて言われた聖書の言葉が鮮烈に浮かんできました。それはヨハネが記しました『ヨハネの福音書』の中でヨハネは、自分のことを『イエスが愛しておられた者』『愛する弟子』『イエスの愛されたあの弟子が』と呼んでいることです。ヨハネはイエスから『愛された者』であるという思いを誰よりも強く持っていたということです。なぜヨハネはそのように言えたのか。それは彼が誰よりもイエスの愛を深く受け止め、イエスとの愛と信頼に満ちた関係を作り上げていったからです。そのヨハネにイエスは『そこにあなたの母がいます。』(ヨハネ19:26)と言われて、十字架上から、自分の亡き後の母マリヤを思い、愛する弟子ヨハネに託すのです。身内ではなく、イエスの愛の継承者とも言うべき愛弟子ヨハネに委ねられたのです。そして、ここに新しい母と子との関係が生まれるのです。『この弟子は彼女を自分の家に引き取った』(ヨハネ19:27)のです。『自分の家』それは『自分のふるさと』『帰るべきところ』と読むことができます。マリヤは『帰るべきところ』に帰ってきたのです。神の家族という居場所に帰ってきたのです。それはある意味で教会の誕生とも言うべき出来事です。キリストの十字架の愛によって、教会の愛の絆が造られたのです。それゆえ私たちは、血縁、性別、年齢、人種、国籍、階級、地位、職業等に関係なく、主イエスに愛された者として、互いに兄弟姉妹と呼び合い、神の家族となるのです。こうした教会の姿を現代社会は求めています。教会のようになりたいのです。現代社会は、神の家族のような愛の絆で結ばれた『有縁社会』を生み出そうと苦しんでいるのです。 人はひとりでは生きることが出来ません。人とは、何かのつながりを必要とする存在です。そこで教会の交わりに生きる私たちキリスト者の存在が重要な意味を持ってきます。私たちはキリストの体なる教会が、この世にあって果たす役割をしっかりと受け止め、その使命を担う者となり、教会の交わりに生きる者でありたいと思います。そのために、私たちがまず『イエスに愛された』という実感、『主イエスの愛の深さ』を毎日の生活の中で味わい続けることを忘れてはならないのです。