礼拝メッセージ

2月27日(日) 礼拝メッセージ要旨     伊藤京一教師

 

「監獄のヨセフ」               創世記40章1~23節

 ヨセフは侍従長ポティファルの妻の誘惑を退けた結果、彼女の欺きにより監獄に入れられてしまった。しかし主はそこにおいても彼とともにいてくださり、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされたので、彼はそこでなされるすべてのことを管理するようになった。  [1~8] これらのことの後、エジプト王(パロ)の献酌官長と調理官長が主君に罪を犯したことにより、ヨセフのいる監獄に入れられてきた。侍従長はヨセフを彼らの付き人にした。獄中で献酌官長と調理官長は、ふたりとも同じ夜にそれぞれ夢を見たが、彼らはその意味が分からなかった。  ヨセフは「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください」と言った。彼は夢を解くことについては神に聞かなければならないと分かっていた。「私に話してください」と言ったのは、彼がその夢の内容を神に尋ね、教えていただく確信があったのであろう。  [9~15] それで献酌官長が見たぶどうの木に関する夢を話すと、ヨセフは神に示され、三日のうちにパロは献酌官長を呼び出し、彼をもとの地位に戻す。そして以前のようにその仕事をするようになることを告げた。続いてヨセフは自分がヘブル人の国からさらわれてきた者であり、投獄されるようなことは何もしていないと告げ、献酌官長が解放され、もとの地位に戻されたら、彼にも恵みを施し、彼のことをパロに話し、監獄から出られるようにしてほしいと頼む。  [16~19] 続いて調理官長も彼の見た夢を告げるが、ヨセフは厳しい解き明かしを告げなければならなかった。献酌官長とは全く正反対の悲劇的な終末が彼を待っていた。 聖書においては夢の解き明かしは、ヨセフの場合とダニエル書のダニエルの場合のみ出てくる。ともに場所は異邦のエジプトとバビロン。そこは占いや夢解きが盛んであった。主なる神はこのような状況をあえて用いられて、これから起こってくるご自身のみこころを示すことをよしとされたのであろう。しかし聖書が占い等について教えている大原則は、決してそれをしてはならないということ。私たちは自分の生き方や歩みをイエス・キリストに、聖書に聞かなければならない。→申命記18:9~15、使徒3:22~26、Ⅱテモテ3:15~17  [20~23] 三日の後はパロの誕生日であり、彼は自分の全ての家臣たちのために祝宴を張り、彼は監獄から献酌官長と調理官長を呼び出し、献酌官長を元の地位に戻し、調理官長を木につるした。ヨセフの夢の解き明かしの通りになった。ところが解放された献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。ヨセフの失望は大きかっただろう。人の思う最善の時と神の最善の時は違う。彼はなお忍耐の時を持たなければならなかった。→ヘブル10:35~36  まことの神を信じる信仰者は、神の忌み嫌われる占い等によって行動するのではなく、まず、神の言葉である聖書を読み、祈り、神に聞こうとする姿勢が大切です。神は私たちを安易な道に進ませず、忍耐を十分に働かせなければならない環境に置かれることがあります。しかし、それは最終的に私たちの益になるのです。




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