2月23日(日) 礼拝メッセージ要旨
「整えられる教会」 使徒の働き6章1~7節
産声を上げたばかりの子どもが、産着でただそこに寝かされているように、最初の教会も、イエス・キリストを信じた人々が、ただそこに集っているだけでした。しかし信仰のいのちは躍動しておりました。けれども教会としての整えられた姿はありませんでした。赤ちゃんが産着から、成長と共に体に合わせて、外側の服装を変えていくように、教会も年数を重ね、人数が増えるに従って、教会内にいろいろな問題が生じてまいります。その都度教会は、試みの中で成長し、しかるべき組織や制度がつくられ、教会としての姿が整えられていったのです。その最初の教会の姿が本日の聖書の箇所です。事の始まりは食料の「毎日の配給で」(使徒6:1)苦情を申し立てる人が出てきました。「喜びと真心をもって、食事をともにする」(使徒2:46)ような交わりを続けてきたはずのエルサレム教会が何と実につまらない「食べ物」の分配のことで、教会は分裂の危機に直面したのです。しかしこの問題の背後には、エルサレム教会がかかえていた、ある深刻な問題がありました。それは「ギリシャ語を使うユダヤ人」と「ヘブル語を使うユダヤ人」との間にあった対立でした。両者はユダヤ人であることと、ユダヤ教徒であることは同じでも、日常語の違い、生活習慣や思想、信仰理解でも違いがあったのです。この二派の対立は、信仰論や神学論、礼拝論や教会論のような本質的なことから問題が表面化したのではありません。たかが食料の分配のことでした。しかしこのままでは、命取りになるのです。ではエルサレム教会はこの問題についてどのように対処したのでしょうか。12使徒たちは、本来の職務である、神の言葉に仕えることが、後回しになり、日常の雑用、用務に追われているのは、神の目から見ても好ましいことではないと判断し、この問題の処理にあたる7人を選びました。こうして教会の中に初めて、ある目的のために「職務」が生まれたのです。こうして教会は使徒たちが、御言葉に仕えることを何よりも優先する体制を整えたことにより、「神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。」(使徒6:7)のです。こうして主の教会は試みの中で整えられつつ、成長をしていったのです。