2月22日(日) 礼拝メッセージ要旨
「クリスチャンの試金石」 エペソ人への手紙1章15-19節
パウロは牢獄の中に閉じ込められていても、神様が与えてくださる霊的祝福によって感謝し喜びをもって神様を賛美することができました。そしてその感謝と喜びによって、現実は牢獄の中であっても、神様への賛美が満ち溢れる生活をすることができたと思います。そしてパウロは、エペソ教会の聖徒などのように、自分が知っている聖徒たち、あるいは彼らの様子を伝えて聞くことによって、たとえ牢獄の中に閉じ込められた生活であっても、喜びをもって神様に感謝をささげることができたということです。
本日の聖書によると、パウロはエペソ教会の聖徒たちの信仰と愛のゆえに神様に感謝をささげることができました。それは、パウロがエペソ教会の聖徒たちを思う時に一番大切にしていたのは、他でもない、信仰と愛であったというです。即ち、パウロがエペソ教会の聖徒たちによって神様に感謝をささげることが出来たのは、彼らの中にある「主イエスに対する信仰」と「すべての聖徒たちに対する愛」であるということです。この信仰と愛は、まるで試金石なようなものであって、クリスチャンがクリスチャンであることの大切な判断基準になります。
特に、「主イエスに対する信仰」と言います。それは、信仰が主イエス・キリストの中にあるということです。これは最も大切なことであり、基督教信仰の本質であり、一番中心的な問題です。私たちの信仰の対象が主イエスであることをはっきり覚えなければなりません。そして、「すべての聖徒に対する愛」と言います。この二つは私たちがクリスチャンであるということの印です。どんな人も主イエスを信じなくてはクリスチャンになる事はできなし、クリスチャン出なかれは隣人を真に愛する事は出来ません。信仰と愛を、試金石のように思って、自分の信仰が主イエスに対するものなのか、そしてすべての聖徒に対して愛ももっているのは、自分自身を振り替えて見ましょう。