2月19日(日) 礼拝メッセージ要旨
「主の言葉を聞いて行う人」 ルカの福音書6章43~49節
ブランド品や宝石、真珠を本物に似せて造られたものを、「模造品」と言います。外見だけでは、本物と偽物を見分けるのはむずかしいですから、自分は本物と信じて購入したが、全くの偽物と判明し、自分で自分を欺くという結果に終わってしまうことがあるものです。信仰においても同じことが言えます。主は「良い木と悪い木」のたとえで(ルカ6:43~45)、外見にだまされる危険性、「主よ、主よ」と表向きは、熱心に呼び求め(ルカ6:46)、自分は信じていると思い込んで、自分を欺くという危険性、救いを求め、恵みや祝福だけを求め、主の言葉を実行しない危険性(ルカ6:47~49)をそれぞれ取り上げて、私どもに警告を与えておられるのです。「真のキリスト者」と「偽のキリスト者」とは、どこが違うのでしょうか。主はその問題を家を建てた二人の人物のたとえを通して語っておられるのです。ここでは二人の間に見られる類似点ではなく、その違いについてが強調されているのです。一方の家が「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えた」(ルカ6:48)のに対し、他方の家は「土台なしで地面に家を建てた」(ルカ6:49)ことに、決定的な違いがありました。造りが良いとか、良い材料を使用したからではないのです。岩を土台とした良さにあったのです。彼らは同じ場所に同じような家を建てたのです。その相違は、一見明白ではありませんが、その違いは死活にかかわるものです。後日洪水が来て、その違いは明らかになります。「真のキリスト者」とは、キリストの土台の上に家を建てた人ですから、私の思い、私の感情、私の眼差しによるのではなく、常に主にその身を預けることができる人のことです。反対に「偽のキリスト者」は、深く考えないで、警告に耳を貸さず、主よ主よと呼びながら、聖書の教えに無関心で、それを行うことが出来ない。表面的な祝福、喜び、平安を得ることに満足しているのです。果たして私どもは、もっと深みのある、もっと奥深い、キリストの土台にまで達するという掘り下げを切望しているでしょうか。主は私たちの日毎の生活、問題をとおして、キリストに達することを求めておられるのです。「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか」(ルカ6:47)という、主イエスのお言葉の意味をしっかりとかみしめ、味わいたいと思います。