2月10日(日)礼拝メッセージ要旨
「ぶどう園の主人の恵み」 マタイの福音書20章1-16節
本日の本文を通して、私たちは限りない神の愛と深い憐れみを見ることが出来ます。たとえ話の中にはぶどう園の主人が出て来ますが、彼は労務者を雇うために朝早く出て行きます。そして労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園に行かせました。そして午前9時ごろ、12時ごろ、午後3時ごろ、そして最後に5時ごろにも出て行って労務者たちを雇いぶどう園に行かせました。そして夕方になり、その日の仕事が終わりますと監督を呼んで労務者たちに賃金を払うようにさせますが、ぶどう園に最後に入った労務者から払い始めて、朝早くから働き始めた労務者まで一デナリずつ同じく払いました。朝早く働き始めた労務者たちは一時間しか働いていない労務者たちが一デナリを貰う事を見て自分たちはもっと多く貰えると持っていました。しかし自分たちも同じく一デナリを貰うとぶどう園の主人に文句を言いました。すると、ぶどう園の主人は彼らに「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」と答えました。
ぶどう園の主人は5回も出て行き、労務者を雇い、ぶどう園に入るようにしてあげました。その中で最後の午後5時ごろというのは、仕事が終わるまで1時間も残っていなかった時です。そうであるにも関わらず、労務者を雇いぶどう園に送った、それも一時間も働いていない人々にも一デナリをあげたという事を考えて見ますと、ぶどう園の主人は収穫より労務者たちにもっと大きな関心を持っていたことが分かります。そしてそのようなぶどう園の主人のこころは「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」という答えからも良く分かることです。雇われず何もしないで市場に立っている人々を憐れんで何回も市場に出て行って、彼らを雇い働かせ賃金を与えた、それがぶどう園のこころでした。そしてそれは神様の私たちに対するみこころでもあるでしょう。私たちを憐れんで下さり、恵みを与える下さる神様を覚えて感謝を持って生きて行きたいと思います。