12月9日(日)礼拝メッセージ要旨
「心を知っておられる神」 ルカの福音書16:14〜18
本日の本文は「金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。」と始まります。パリサイ人たちが聞いていたことは、すぐ前にある「不正な管理人のたとえ話」です。そのたとえ話の中でイエス様は将来のことを覚えて今与えられているものを用いなさい、と教えてくださいました。そして最後には「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」と仰ってくださいました。それを聞いていたパリサイ人たちはイエス様をあざ笑っていた、ということですが、それは何故でしょうか。それはパリサイ人たちは富とは神様からの祝福のしるしだと思っていたからです。ですから富んでいる者は神様から祝福された者であって、神様と富というものは両立できると考えていました。ところが、イエス様が自分たちが持っていた富やお金の考え方とは違うことを話しましてあざ笑っていた、ということです。
しかし、パリサイ人たちの本当のところは「人の前で自分を正しいとする者」であって人間の間であがめられたいと思っているということでした。そのために律法を厳しく守っていたことでした。ですからパリサイ人たちは神様を愛していたわけではありません。目に見えない神様のみことばや教えはどうでも良いと思い、目の前にいる人間にあがめられたく、自分がいかに正しい者であるのかを見せたくてのことでした。
そのためにパリサイ人たちは律法の真意は分からないまま、自分の都合の良いものとして自分勝手に変えてしましました。イエス様はその一つの例えとして、離婚のことを取り上げて神様のみこころとは違う規則を作って、自分を正しい者とするために用いているのかを仰ってくださいます。しかし、神様は心を知っておられるお方であって私たちのうわべではなく心をご覧になります。大切なことは、神を愛し隣人を愛する心から出て来る行いです。私たちの心を知っておられる神様の御前で、私たちの心が愛によって変えられたいと思います。