12月23日 クリスマス礼拝メッセージ要旨
「降誕―この輝ける日」 ルカの福音書2章8~14節
誕生日。それは人の一生の始まりですから、その人にとって掛け替えのない、ただ一つしかない大切な日であります。しかし私どもの誕生は、いつ、どこで、父誰それ、母誰それの何男何女として生まれたということが確認され、それ以上の意味はありません。しかしイエス・キリストの誕生は違います。私たちの「いのちの救い主」の誕生ですから、聖書は心を込めて知恵と力とを充分に生かして、豊かに描きました。その中に羊飼いたちが登場します。彼らは天使たちの「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が御心にかなう人々にあるように。」という讃美の歌声を聴いたのです。このことばは、ただ讃美の歌というのではなく、イエス・キリストの生涯を代表する言葉であり、このお方がこの世に存在していたことを言い表す、大事な言葉であります。それならば、最初のクリスマスのあったユダヤの国、そしてその時の世界には「地の上に平和」があったでしょうか。当時ユダヤはローマ帝国の占領下にあり、国内は反乱と弾圧のもとで、人々は苦しんでいたのです。それではイエス様の生まれた後、ユダヤには平和が訪れたでしょうか。聖書はヘロデ大王による幼児虐殺の出来事を記しております。この地のどこに平和があるのでしょうか。今に到るまで、真の平和はこの地の上に、訪れてはいないのです。それならクリスマスは喜びの日ではなくて、悲しみの時なのでしょうか。いいえ違います。あの天使たちと共に神を讃美する日だと聖書は語ります。それは神ご自身が「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)からです。争い、憎しみの絶えない暗き世界、悲惨な世界、そしてあるがままの私たちを、実にそのひとり子をお与えになったほど愛をもって、愛し抜かれたのです。そのために神はご自身の栄光を捨てられ、この世に人の姿で降り、そして一緒に生きてくださいました。それ故に神を讃美するのです。そういう方がいてくださるから、私たちは争い、憎しみ、残虐があり、惨殺があり、何が起こっても、この世界で生きる意味を失うことはないのです。クリスマスがあるがゆえに、この世界がどんなに暗く、どんなに希望がないように見えても、神は共にあられる。そういう愛がここにはあるのです。地がどんな地であっても、世界がどんな世界であっても、そういう意味で「地の上には平和」はあるのです。それ故、私たちは心の底から声の限り喜びの讃美を歌い、この日を輝きの日として迎えるのです。