12月19日(日) クリスマス礼拝メッセージ要旨
「喜び祝え この出来ご事を」 ルカの福音書2章8~20節
羊飼いたちは救い主誕生の最初の証人であり、最初のクリスマスを祝った人達でした。聖書は私たちにイエスの誕生は特別な出来事であり、私たちのあらゆる誕生とは違うことを告げています。聖書の描きますクリスマス物語に登場する人々は、悩み、嘆き悲しみ、不安、苦しみ、疲れを覚えている人々です。それは今の時代も同じです。ですからイエス・キリストは2010年のこの時代に救い主としてお生まれにならなければならなかったのです。今私たちは2000年前のキリストの誕生ではなく、2010年のキリストの誕生をお祝いしているのです。ではこの特別な出来事をどのように祝ったらよいのでしょうか。 (1)まず「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」(11節)というこの出来事を、驚きをもって見つめることから始めることです。神が人となられた。なぜこのような事が起こり得たのか。誰にも理解することはできません。しかしヨハネによる福音書3章16節には「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」とあります。神の愛が神の子イエス・キリストを私たちに与えられた。私たちはそのことのゆえに驚くのです。 (Ⅱ)次にクリスマスを祝う大切なことは、この出来事について「思いを巡らす」(19節)ことです。私たちは静まり「あなたがたのためのしるし」(12節)の意味について考え、この出来事を支配しておられる神のみわざ「それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)という神のみわざ、ご計画について思いを巡らすことです。 (Ⅲ)さらに、神をあがめ、賛美することです。(20節)神を賛美する―それは神を礼拝することを意味します。羊飼いたちは見聞きしたことが、全部御使いの話の通りだったので神を賛美し、神を礼拝しました。2000年前のベツレヘムが羊飼いたちにとって救い主イエス・キリストに出会う場所であったなら、今の私たちにとってのベツレヘムは何処なのでしょうか?『ベツレヘム』それはキリストが居ます所です。そしてその場所こそ『教会』なのです。ペテロは「十字架のキリストの打ち傷のゆえにあなたがたはいやされたのです。」と語った後に「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰ったのです。」(ペテロの手紙第一2章24~25節)と、キリストの体なる教会をさし示しました。キリストが働かれる場所、教会こそが現代の『ベツレヘム』なのです。毎週、主の日の礼拝に於いて、羊飼いたちがベツレヘムに行ってキリストの誕生という出来事を見たように、今の私たちは、主イエスの十字架と復活という出来事を告げ知らされ、マリヤのようにそのメッセージを思い巡らし、圧倒的な神の愛と恵みに驚き、神をあがめ賛美し、日々の生活の場へと帰って行くのです。