12月15日(待降節第三週) 礼拝メッセージ要旨
「真の平和を与えるために」 ルカの福音書12章49~53節
ルカの福音書が描く、クリスマス物語に響く中心の音信は、主イエス・キリストが「地上に平和をもたらすために来られた。」ということです。「日の出がいと高き所からわれらを訪れ―つまりメシアがわれらを訪れ―」そして「われらの足(歩み)を平和の道に導く。」(ルカ1:78~79)さらには、天の軍勢が、クリスマスの夜に合唱した神への賛美「いと高きところには栄光、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)と、ルカは「平和の君」主イエス・キリストの訪れを喜びつつ、一方では「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ分裂です。」(ルカ12:51)と記すのです。しかもその分裂は「今から」(ルカ12:52)生じると言われるのです。この争いのあるところに平和を与えるために、主イエス・キリストは、受難と苦難というバプテスマを完全に成し遂げたと断言できる時まで、この問題に没頭すると言われます。(ルカ12:50)主イエス・キリストは、「わたしは、いとも簡単に地上に平和が与えられ、安易に訪れる平和を与えるために来たのではなく、むしろまず分裂を与えるために来た。」(ルカ12:51)と言われます。それは平和というものは「地に火を投げ込まれた」後に、その分裂をいやす本当の「平和」が訪れるということです。主イエス・キリストがもたらす真の「平和」とは、私どもの罪を主イエス・キリストが苦難、受難を通して処理してくださり、罪と死を完全に滅ぼされたことによってもたらされたものです。それはアウグスチヌスが「平和とは秩序の静けさである。」と定義し、聖フランシスコが「争いのあるところに平和を。」と祈った、真の安らぎの平和なのです。