11月9日(日) 礼拝メッセージ要旨
「天の故郷」 ヘブル人への手紙11章13-16節
「帰省本能」という言葉があります。帰省本能とは、動物等が一定の住み場所から離れて、再びそこに戻って来る性質や本能です。このような帰省本能のことで有名なのは鮭です。鮭は川で生まれて大きくなります。そしてある程度大きくなると、必ず海に行きます。そして海で3-4年位を過ごしてから、産卵する時になると、本能的に自分が育ったその川に戻って行きます。このように自分が生まれた故郷に帰りたがるのは動物だけではなく、私たち人間にもあるものです。
ところが、本日の聖書に「さらにすぐれた故郷」、すなわち「天の故郷にあこがれていたのです。」というのがあります。先ほどの鮭の話しでのように、故郷というのは、自分が生まれたところ、あるいは育ったところのことです。私たちにそれぞれに生まれた故郷はありますが、しかしそれが天にある人は一人もいないのです。何故なら、天で生まれた人はいないからです。それでは「天に故郷をもっている人々」とは、どういう人のことでしょうか。
一つ目に、それは信仰の人々のことです。信仰の人々とは、神様の約束を信じて生きていた人々です。彼らは、生きている間に神様からの約束が成就されることを見ることができませんでした。しかし、彼らは神様の約束が必ず成就されるという希望をもって、喜んで神様の約束を迎えていたのです。たとえ、この世での生活が苦しくても、望が消えそうでも、けれども神様の約束に対しては喜んで、それを頂く事ができるという希望の中で生きていた人々です。
二つ目に、自分の本来の故郷を求める人々のことです。この自分の本来の故郷とは、天の故郷であります。といえるのは、クリスチャンは神様によって新しく生まれかわったものであるからです。ですので、肉体の故郷はこの世にあっても、神様によって新しく生まれかわった魂の故郷は天にあるのです。
何よりも、神様の約束にもっと喜びをもって、天の故郷へより強いあこがれをもって生きる祝福を頂きたいと思います。